執筆活動の一部

20. 雪景色という芸術を味わおう

日本人はなぜ雪に魅せられるのか?

今年もまた雪の季節がやってきた。「雪月花」とは日本の自然美を象徴するために古来用いられてきた言葉だが、雪はその最初に挙げ置かれている。我々日本人はなぜそれほどまでに雪に心惹かれるのであろう。

「雪」と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、白一色に輝き澄んでいて息をのむほどに美しいが、またそのいっぽうに冷徹無比な憎悪と殺意とを秘めた白い妖魔の顔だろう。この妖魔はその美しさのゆえに数知れぬ人々の心を魅了し深く感動させる反面で、情け容赦なく寒冷地の人々の生活を苦しめ痛めつけ、さらにまた、その魔力に挑もうとする者たちの命を、僅かな隙を衝いては次々に葬り去ってきた。我々が雪景色というものに深く魅せられるのは、妖艶な美女の顔と青白く不気味な鬼女の顔とを併せ持つ、雪女の姿そのままのその二面性のゆえなのかもしれない。

仮に雪女が実在したとして、その稀代の魔性を責め咎めることのできるほどに心が澄み輝いていると自負できる人がいったいこの世にどれだけいるだろう。人間の生というものはそれでなくても穢れに満ちている。人間の命を吸い取る雪女の魔性のほうがよほど純粋で美しい。まして、その妖魔が牙を隠して微笑みながらさりげなく導き誘う純白の雪の世界に対峙すれば、たとえ一時のことではあっても、人は皆おのずから謙虚な心持ちになって己の愚かさや欺瞞だらけの人生に恥じ入らざるをえなくなる。それが妖魔のなせる幻術のゆえだと薄々気づいていたとしても、その美しに圧倒され、ひたすら黙考に沈んでしまう。我々日本人が雪景色を愛でるのは、そんな人間の悲しい性(さが)と無縁ではないようだ。

白鳥の群れが飛来する新潟県の瓢湖などを訪ね、膝近くまである純白の雪を踏み分けながら湖畔に立って白鳥を眺めていると、意外なことに気づくものだ。「白鳥(しらとり)は悲しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」という有名な若山牧水の歌にもあるように、白鳥は穢れのない真っ白な色をしているというイメージが強い。しかしながら、純白な羽色をしているはずの白鳥を雪景色の中でじっと見つめていると、同じ白でも雪の白さに比べるとなんとなく黄色っぽく思われてきてしまうものだ。極北の地の白い氷原を行く白熊が黄ばんで見えるのも同じことである。生き物というものは一点の汚れもなくして己の命をつなぎながらえることなどできない。この世のどのような生命も雪のように白くはない。

我々日本人が美しい雪景色に憧れるのは、その前に立つことによって、たとえそれが一時の幻想にすぎないとしても、穢れ疲れきった己の心身が浄化されるように感じるからだろう。古刹の庭園や由緒ある名園を訪ね、雪景色にひと時の心の安らぎを求める権者や武将らが少なくなかったのも、また、それらの庭園の造営と維持に心血を注いだ君主や領主があったのも、その人物らのどこかにそのような思いがあったからに違いない。凄惨な戦いにこそ無縁な昨今の我々日本人ではあるが、生活のかかった日々の戦いは相変わらず熾烈だし、先行き不安な高齢化社会において明日の暮らしを思い煩う人々も少なくない。それが本質的な救いや慰めになるかどうかはともかくも、そんな時には、これぞという雪景色の見られる名庭園などを訪ねてみるのもいいだろう。

庭園という舞台に見る雪景色

穏やかな四季の変化に恵まれた日本の冬は、山岳地帯を除けばすぐさま生命に危険が及ぶほど過酷でなく、降雪量も雪質もほどよいものだから、雪景色を楽しむにはもってこいである。雪と樹木、雪と池、雪と流水、雪と橋、雪と岩、雪と数奇屋といった具合に、さまざまな雪景色のバリエーションを人為的に造り出し、時の推移の中で磨き上げられるそれらの美観にこころゆくまでひたれるのも、日本人ならではのことである。降雪地にある庭園などは造園当初から雪中でこそその景観が美の極みに達するように計算し尽くされている。素晴らしいとわかっていても積雪期の峻厳な山岳風景を目にするのは容易でないが、一流の造園師は、築山や樹木の形にあれこれと工夫を施し、それに雪が積もると雪山風景のミニチュアを楽しむことができるような配慮をも怠らない。そうだとわかれば、穢れた心身を浄め安らげてくれる雪景色を求め、この冬どこかの庭園を訪ねてみるのも一興というものだろう。日本人の心の原点に回帰する意味でもそれは重要なことかもしれない。

洛北大原の地にある三千院は伝教大師最澄の開基と伝えられる。秘仏薬師瑠璃光如来を本尊とする天台宗門跡寺院のこの寺の山門には、「一隅を照らす、此れ則ち国宝なり」という最澄の言葉を記した板書が掛けられている。千年余もの歴史を誇るこの寺の庭の美しさは有名だが、雪の季節の光景はまた格別だ。寒椿の花の赤とその葉の濃い緑に純白の雪がふんわりとかかり、その雪の重みで椿の枝々がしなやかに撓む有り様は「三千院雪椿」として知る人ぞ知る風景だ。また往生極楽院周辺の雪景色などを目にすると、大悟なき凡夫の身でさえも心を洗われ、そのまま極楽往生でもできそうな気分にもなってくる。

金沢兼六園の雪景色はつとに名高い。文政五年、十二代藩主前田斎広(なりなが)は、隠居所竹沢御殿を築いた際、奥州白川藩主白川楽翁(松平定信)に新庭園の命名を依頼した。依頼をうけた楽翁は中国宋代の詩人李格非(りかくひ)の著した洛陽名園記の記述にちなみ、宏大、幽邃(ゆうすい)、人力、蒼古(そうこ)、水泉、眺望の六勝が調和し兼備された庭園という意味を込め、「兼六園」と命名したのだという。「雪見橋」などという橋があることもからもわかるように、この庭園は雪景色の粋を極めんとして造られたものである。この庭園の霞ヶ池のほとりには徽軫(ことじ)燈籠と呼ばれる風変わりな石燈籠が立っている。冬の霞ヶ池を背に雪を戴いて立つこの石燈籠は兼六園の象徴的存在だ。徽軫とは琴柱、すなわち、和琴の絃を張り音程を調整する支柱のことで、二本の脚をもつその石燈籠が徽軫の形によく似ているのでそう呼ばれるようになった。

近代造園技術がつくる絶佳

独特の雪吊りをはじめとし、この庭園内では風趣に富んだ雪景色の数々が見られるが、なんといっても冬の徽軫燈籠の不可思議な存在感に勝るものはない。すっぽりと雪に覆われた徽軫燈籠を凝視していると突然奇妙な幻覚に襲われたりもする。明かりの灯っているはずもないその燈籠になぜか明るく暖かい火が灯っていて、その光が、心の闇に降りしきる雪を幻想的な美しさに照らし出してくれているように感じられたりするからだ。人間誰しも、行く手の闇に立ち向かうには、せめて叡智のかけらの放つ光くらいは携えて進みたいと思うものだが、徽軫燈籠のそんなたたずまいは、その秘訣のようなものをさりげなく示唆してくれているようにも思われる。

歴史は浅いが、島根県安来市にある足立美術館日本庭園の雪景色は絶賛に値する。日本庭園をこよなく愛した足立全康は全国を巡って植栽の松や岩石類を蒐集し、自らの全情熱を傾注して枯山水庭をはじめとする六つの大庭園を造り上げた。現代造園技術の粋を尽くして造営されたこの庭園は自然美と人工美とが見事に調和していることで知られ、近年は日本庭園ベスト十五の第一位に選ばれたりもしている。雪化粧した枯山水の庭や池庭、亀鶴の滝などに鈍色の雲が低く垂れ込める有り様は、この美術館の主要コレクションである横山大観の水墨画そのままの幻想的な光景なのだ。寿立庵から眺める内庭の雪景色も絶佳の一語に尽きる。また、この庭園の背景には毛利と尼子の合戦の際に毛利軍が本陣を張った勝山などがあって、冬季にはその白く美しい山並みがこの日本庭園の雪景色を一段と引き立たせてくれる。大都市からの冬季のアクセスは容易でないが、近代日本画、陶芸、彫刻、蒔絵などの絶品を幻夢のような雪景色の中で観ることのできる贅沢は何物にも替え難い。

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