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13. 「ムーアの法則」はまだ生き続けるのか?

IC(集積回路)産業界のトップを走るインテル社の創始者のひとりゴードン・ムーアは、一九六五年当時のIC界の発展状況を考察し、予測的な一つの所見を表明した。ムーアは、IC生産技術の向上に伴い一平方インチあたりの基盤に組み込み可能な半導体素子数は年ごとに倍増していくと考え、そのような状況は以後十年間は続くだろうと予測した。その所見表明前後の半導体業界は特別な指針もなくランダムな方向へと動いていたが、日本のメーカーのメモリー事業参入を契機にムーアの見解は大きな意味を持ちはじめ、半導体業界の発展を促す有力な指標となった。メモリー事業に参入した日本のメーカーは綿密な計画をもとに半導体産業の主導的な地位を獲得することに成功したが、その技術発展のトレンドはムーアの予想に沿うものだった。当時のハイテク界の先端企業フェア・チャイルド社の研究開発主任だったムーア自身も、持論の意義を再認識させらたという。
 以降もその予測が的中し続けたために、IC技術者をはじめとするハイテク関係者はいつしかその所見をムーアの法則と呼ぶようになった。基盤に組み込む素子数の倍増に要する時間は当初の一年から二年程度にのびてきてはいるが、マイクロチップ開発技術が日々進歩しているために、単位面積当たりの半導体素子集積密度は四〇年を経たいまもなおムーアの法則に沿うかたちで増大を続けている。逆にまた、ムーアの法則を維持し続けようとする強い意識が業界内に働くことによって、今日まで一定ペースでIC技術の革新が繰り返されてきたことも事実だろう。プロセッサーの演算速度やそのデータ処理能力はほぼ素子の集積密度に比例するため、科学ジャーナリストたちはムーアの法則をコンピュータの全般的能力の発展速度を表す指標として用いたりするようにもなってきた。

集積化最大の壁は電力リーク

近年、そのムーアの法則が限界に直面しつつあるという見方が広まってきている。ムーア自らが「半導体のサイズは根本的な限界である原子のサイズに近づいているが、そこまで到達するのにあと十年から二十年かかる。いずれにしろ、この法則が永遠に続くことはありえない。それ以降は従来の半導体とは異なる新技術の開発が望まれる」と述べている。だが、そのいっぽうで、インテルの現COE、クレイグ・バレットのように、ムーアの法則にはなお限界は見当たらないとの強気の発言をする者もある。バレットは従来の技術でも水素原子五〇個分の幅しかない五ナノ(十億分の五)メートルのチップまでは製造できる目途が立っていると述べている。五ナノメートルサイズのトランジスタは理論的にも実験的にも微小化の限界だとされているが、インテルばかりでなくNECシステムデバイス研究所でも二年前に五ナノメートルサイズのトランジスタの作動実験に成功している。インテルは現在六十五ナノメートルプロセスで製造したプロセッサの発表準備を進めている段階だが、すでに四十五、三十二、二十二ナノメートルの各製造プロセスを用いたトランジスタの試作品の写真を公表しており、十五、七、五ナノメートルの各製造プロセスの実現に向けて技術開発を進めてもいるところだ。チップの集積度が倍増するのに要する時間は現在の二年よりも長くはなるが、ムーアの法則は今後も成立するという。その詳細は不明だが、インテルの技術者らは極微小トランジスタ製造の代替技術として量子ドット、ポリマーレイヤー、ナノチューブの三選択肢を睨み、ムーアの法則の拡張を画策してもいるようだ。

ムーアの法則の前に立ちはだかる最大の壁は電力リークの問題だ。従来、素子微小化の過程で電力リークが問題になることはなかったが、素子の微小化が極度に進んだ現在ではリーク対策が最大の課題となっている。九〇ナノメートルレベルよりも微小化が進むと、各素子の絶縁膜は水素原子十二個分の幅に相当する一・二ナノメートル以下の薄さになり絶縁を要する素子全体の表面積も増大するから、漏電や発熱による電力消費を完全に防ぐことは困難になる。しかも、このレベルの薄い絶縁膜になると、薄膜を構成する物質が粒子と波動の双方の性質を持ち、存在位置の不確定な量子力学的特性、いわゆる「ゆらぎ」を示すようになるから、通常の理論では説明できない不可思議な突発性リークが起こる。そのため、現在主流の九〇ナノメートルレベルのICでも、チップ単体の消費電力が百ワットを超えるという異常事態が生じている。こうなると、消費電力の大きさばかりではなくシステム自体の冷却のためにも余分なエネルギーが必要となるから、いくらムーアの法則通りに素子の微小化が進んだとしても機能性は失われるし、経済的にも見合わない。

法則死守のハイテク裏技の数々

また、極微化した各素子の性能のばらつき、システムのコア部と各素子間の配線距離の増大と複雑化に起因する演算能力の低下や電力ロスも避けられない。現在の半導体技術を前提にするかぎりでは、素子の微小化プロセスが理論的かつ実験的限界といわれる五ナノメートルプロセスに到達するのは二〇二〇前後だと予想されている。だが、それ以前にもいま述べたような問題があるため、ムーアの法則の破綻も近いと囁かれているわけなのだ。

そこで、インテルはじめ業界各社は素子集積度の増大と並行し、チップ上に複数のコアを搭載、その並列処理能力を高めることによって当面の課題の解決と性能の飛躍的向上を狙っているようだ。インテルの技術者は、十年以内には一個のプロセッサ上に百個ものコアが搭載されるようになるだろうと予想している。現在の平面的な素子の配列を立体的に階層化して集積度を高めるとともに素子間の配線距離を短縮、機能の大幅向上を図りつつ配線遅延や配線障害をも解消しようとする動きもある。

次世代のIC技術として注目を集めているのは磁気チップと量子チップだ。磁気チップは独立磁区(強磁性体の原子の磁化方向が揃っている領域)の配列を用いてバイナリーコード処理を行なうチップで、ノートルダム大学電子工学部研究チームはナノスケールレベルの試作品開発に成功している。このチップは消費電力も発熱量も小さく、メモリーは不揮発性であるうえに瞬時に起動が可能である。同大学の試作チップはデジタル情報の保存だけでなく演算処理も可能で、将来的には従来の半導体チップの集積度や処理能力をはるかに上回るだろうと考えられている。そのいっぽう、ミシガン大の研究チームは超高速新世代コンピュータの実現につながる量子チップを試験的に開発した。この技術では制御しやすい金属元素イオンの電子が用いられる。特定方向への電子のスピンを1、その逆方向へのスピンを0に対応させて演算を処理させるのが基本だが、この種の量子ビットには両方向のスピン状態を同時に保持できる量子論的特性があるため、演算処理能力は倍増し、コンピュータの驚異的な発展が期待される。ただ、それらの技術を用いたコンピュータの登場はまだずっと先のことだし、従来の半導体を前提としたムーアの法則を磁気チップや量子チップの次元にまで当てはめて拡大解釈することもいささか問題ではあるだろう。

国際的な暗号研究者ポール・コーチャーのように、ムーアの法則に基づく技術発展はシステムのセキュリティーの脆弱性をも増大させると、その負の側面を指摘する者もいる。コーチャーは「複雑性が増すと攻撃の機会が増大し、攻撃のコストは低下する。ムーアの法則通りにシステム開発が進んでも、セキュリティーの専門家の能力はムーアの法則並みには向上しない。セキュリティーの規格仕様が複雑になり過ぎ、セキュリティー担当者がシステム全体を完全理解することが困難になってきている」と警告を発している。

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