執筆活動の一部

5. 国土地理院の隠れた実力と業績

国土交通省国土地理院という行政機関がどのような業務を遂行しているところかを知る人はすくない。その厳めしい響きの名称からして、地理関係の仕事をおこうなう堅いお役所らしいと思うくらいのものだろう。だが、この国土地理院、数ある行政機関のなかでもひときわアカデミックな存在で、しかもたいへんな実力をそなえもつ機関なのだ。そこに漂う雰囲気は、重々しいその名称からは想像もつかないほどに自由で開放的なものである。茨城県筑波市にある本庁などを訪ねても、ゲートには守衛の姿など見当らず、ノーチェックで敷地内に立ち入れるからなんとも爽やかで心地よい。矢口彰・現国土地理院長に取材を申し込み直接会ってもらったが、役人臭さなど微塵も感じられないとても知的で柔和な方で、国土地理院全体の空気を象徴しているかのような印象を受けた。

国土地理院は、総務部、企画部、測地部、測図部、地理調査部、地理情報部、測地観測センター、地理地殻活動研究センター、鹿野山測地観測所、水沢測地観測所、そして北海道から九州までの各地方測量部などで構成されている。理学系及び情報工学・土木工学系専門家を主体とする約八百名の職員からなるアカデミックな組織なのだ。主な業務は、測量関連政策の企画、国土情報インフラの整備及び研究開発、公共測量の指導及び調整、測量等に関する国際活動の四部門に大別される。一般にはほとんど知られていないのだが、国土地理院は災害対策基本法に基づく指定行政機関のひとつであり、昨年秋の新潟県中越地震、今年の福岡県西方沖地震、さらにはスマトラ沖地震などで、称賛にさえ値する迅速かつ的確な対応をおこなった。その対応の一端に接するだけでもこの機関の有能さが窺い知れよう。

昨年十月二十三日十七時五十六分に新潟県中越地震が発生すると、十八時三十分には国土地理院長を本部長とする災害対策本部を設置、同時に北陸地方測量部に現地災害対策本部を設置した。そして、全組織を動員して絶間なく情報収集をおこないながら二十四日午前零時までに三回の災害対策本部会議を開催した。二十四日早朝には、徹夜で作成した撮影計画図に基づき、専用の測量用航空機「くにかぜⅡ」による被災地域の緊急空中写真撮影を開始、同日のうちにそれらの画像を解析するとともにウエッブ上で配信できるようデータ化、さらにまた、おおよその被災状況のわかる三万分の一の災害対策用図を緊急印刷し、政府調査団や第一回政府非常災害対策本部会議のメンバーらに配布した。

続いて、二十五日には政府現地支援対策室や新潟県関係当局などに災害対策用図を提供するため職員を現地派遣するとともに、撮影したばかりの被災地一帯の詳細な空中写真や災害状況図をウエッブ上で一般に公開した。国土地理院関東地方測量部などでは、二十五日の時点で一般人にも被災地の詳細な立体写真画像を直接公開するサービスをおこなっている。ただ、かねがねミリ単位の正確さをモットーとする同院には正確さに欠ける急ごしらえの災害地図を公開することにためらいもあり、多少不正確でも生きた情報を一刻も早くと望む被災地の人々との間の調整が課題ではあったらしい。国土地理院のホームページの存在すら知らない人がほとんどなので、せっかくの苦労が国民に伝わっていないのは残念だが、その後の福岡県西方沖地震においても同院は迅速かつこまやまな対応をおこなった。ウエッブ上で「国土地理院」を検索すれば、両地震関係の資料を含む国内外の地理情報満載のホームページを閲覧できるから、ぜひともその仕事ぶりを一見してもらいたい。

インドネシア・スマトラ沖地震の解析でも国土地院はいかんなくその実力を発揮している。欧州宇宙機関のレーダー衛星「エンビサット」が撮影した衛星画像の解析に基づいて、震源に近いニアス島周辺における複数の小島の誕生や海岸線の隆起など、詳細な地殻変動の様相を解明し、スマトラ島からアンダマン諸島までの千キロ余に及ぶ範囲で大地殻変動が起こったことを立証した。さらにまた、多数の衛星写真をもとにしてインド洋周辺全域の津波による被災状況を示す地図なども作成した。どんなにすぐれた衛星写真があったとしても、そこから情報を的確に読み取り、それらを分析統合し異変を解明する能力がなければ宝の持ち腐れになってしまう。世界でもトップレベルの衛星写真解析能力をもつ国土地理院は、その点でも世に誇るべき存在なのだ。数十億光年以上遠くにある特殊な天体クエーサーの発する強力な電波を観測し、そのデータをもとにして地球表層部の相対的な位置変化を数ミリ以内の誤差範囲で検出する技術でもこの機関は世界の最先端に立っている。敷地内の一角に設けられた「電子基準点」はそのために不可欠な特殊装置なのだ。このような電子基準点は現在全国に千五百基ほど設置されており、それらから得られるデータを瞬時にコンピュータ処理することによって、ミリ単位レベルの振動をみせながら絶間なく変化し続ける日本列島の様子をリアルタイムで検出把握もしているのだ。

現在、国土地理院は、第六次基本測量長期計画に基づき「いつでも、どこでも、だれでも、位置情報や地理情報を共有できる環境の構築」を目指している。その一環を形成するのが最近インターネットを通じて一般にも無料公開されるようになった「電子国土・ウエッブ・システム」だ。国土地理院が保有する二万五千分の一の地図情報をベースに、各種施設図や観光情報図、空中写真、道路情報図、都市計画図など、官民の多様な位置情報図を累積・統合・階層化してウエッブ上で公開し、必要な地域の必要な地理情報を国民が随時入手活用できるようにすることを目指している。現在まだ開発途上のシステムだが、将来的には、防災情報、生活環境整備、環境アセスメント、景観シミュレーション、観光ガイド、各種生活関連情報などに関する双方向型システムへの発展も期待されているようだ。

筑波市の本庁敷地内には他に類例のない「地図と測量の科学館」などもあって、誰でも無料で入館し自由に見学できるようになっている。地図作成の仕組みや測量の原理、最新の地図制作技術、各種地図、地図と実生活との関係資料、古代から現代までの地図の歴史、空中写真類、各種測量器具などがゆったりとしたスペースのなかに展示されているから、地図マニアには必見の施設である。また、情報サービス館では、古地図や北方領土を含む明治以降の全国各地の地図、隠顕地図(海中から現れたり海中に没したりする特殊地域の地図)、終戦後以降撮影の空中写真などの無料閲覧も可能である。今年八月の「つくばエクスプレス」の開通に伴い「つくばサイエンスツアー」なども始まる予定で、地図と測量の科学館も筑波宇宙センターなどと並んでツアー対象施設になっている。探究心旺盛な方々にはぜひ一度国土地理院を訪ねてみてもらいたい。

国土地理院の中庭には初代の測量用航空機「くにかぜ」も展示されており、機内の様子や空中写真撮影用の高感度カメラの設置状況などを知ることができる。また、日本列島球体模型という縮尺二十万分の一の地球儀の一部(筑波市を中心に半径二千二百キロの範囲を切り取ったもの)が展示されていて、高さ一・八六mのその球面の中央に立つと、三百キロの上空から日本列島周辺を眺めている宇宙飛行士の気分が味わえる。縁の下の力持ちともいうべきそんな国土地理院の存在は、もっと広く国民にアピールされていい。

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