夢想一途バックナンバー

第13回 星闇の旅路

(8)意外な密漁者

「奴らは、磯遊びを装ってこのあたりのアワビやウニ、サザエなどを狙っている密漁の常習犯グループなんだよ…」

私の手から双眼鏡を受け取りながら、あらためてそう切り出した男の言葉を耳にして、ようやく私には事態が呑込めてきた。どうやら、彼は密漁監視員であるらしい。

「なるほど、そういう訳だったんですか…一瞬、なにごとかと思いましたよ。でも、そうだとわかってるんだったら、さっさと取り締まるわけにはいかないんですか?」

私が怪訝そうに問いかけると、男は日焼けした顔をゆがめながら、吐き捨てるように呟いた。

「相手はしたたかで、一筋縄ではいかないんだよ!…」

ときおり双眼鏡を覗く手を休めながら男が語ってくれたのは、裏で皆が好き勝手なことをやっている現代日本の縮図のような話だった。札幌などの主要都市に本拠を構える北海道の暴力団は、組織的に大量の魚介類の密漁を行い、それらを歓楽街にある自らのグループ直営の高級料理店などで売りさばき、それによって得られる大きな利益を活動資金源にしているのだという。仕入れ値なしで手にいれた魚介類を都会の客に高値で売りつけるわけだから、ボロ儲けであることは言うまでもない。その手口は、法の盲点を逆用した大胆かつ巧妙なもので、それとわかっていても容易には手が出せないらしい。

車にレジャー用ボートや潜水具を積んでやってきた彼らは、狙いをつけた場所から遠くない海岸でボートをおろし、あくまで磯遊びをしているふりをしながら、アワビやウニのいる岩場へと近づく。そして、一部の者が遊泳を装って海に潜り、魚介類を採ると、ボート上でさりげなく見張りをしている者の助けを借りて、複数個用意してあるクールボックスのどれかに素早く仕舞い込む。先刻、双眼鏡を通して目にしたあのクールボックスはそのためのものなのだ。彼らは、ある程度は行動を監視されていることもあらかじめ計算したうえで平然と密漁をやってのけるのだという。

状況的には密漁していることが明かでも、証拠はあるかと開き直られると、事はそう容易ではないのだそうだ。複数並べてあるうちのどのボックスの中に密漁品を入れたかを十分確認し、現行犯でそのボックスを押え、その中身を検証しないかぎり、彼らを警察に突き出すことは難しいという。また、密漁品を収めたボックスを特定できたとしても、相手がボックスの検証を頑強に拒否した場合には、問題のボックスを押収しておき、裁判所から捜査令状をとったうえで警察にその中身を調べてもらうという手段に訴えるしかない。その場で、ダミーを含めたすべてのボックスを強制的に開けさせることなどもともと不可能なのである。

そもそも、裁判所に捜査令状を申請し、それに基づいて警察が強制捜査に乗り出すには、面倒な法的手続きが必要なうえに、形式的な事務処理に時間がかかり過ぎるため、即時対応は事実上望むべくもない。だからといって、密漁という犯罪を予測しあらかじめ捜査令状を用意しておいてもらうことなどは、刑事訴訟法上許されない。

そのへんの法的な知識をわきまえたうえでやってきている彼らは、歯ぎしりする漁民を横目に、さっさと立ち去っていってしまう。それを妨害したり拘束したりする権利や力は漁民には存在しない。そして、いったんその場を去られたら、もはや証拠はなにも残らない。

最近では、確たる証拠のないままに、彼らにむかって、「ボックスの中を見せろ」とか、「アワビやウニを盗んだろう」などとは間違っても言えない状況になっているという。もし、不用意にそのようなことばを吐いて追及すると、逆に名誉毀損罪などで訴えられ、多額の慰謝料を請求される始末で、相手はそのような場合に備えて、常時、法律の専門家を抱えているのだそうだから、なんとも手が悪い。

彼らがクールボックスを多数用意しているのは、漁民を挑発し、逆手を取るためでもある。はじめから空のものや磯遊び用の食料などを入れたダミーのクールボックスの中に密漁品を隠したボックスを混ぜて、漁民にはどれが問題のボックスであるか容易には判別できなくしておく。そして、これ見よがしにそれらを見せびらかし、漁民を挑発しておいて、ボックスのひとつに手を出させる。それがダミーのボックスである場合には、彼らはわざとそれを開かせ、中身が密漁品でないことを漁民に確認させたあと、この始末はどうしてくれると法律を盾に開き直る。

実際、その手口に乗せられて逆告訴され、漁民側が散々な目に遭ったことが何度もあるという。そのため最近では、漁民は、それとわかっていても適切な対応策が見つからず、ひたすら怒りを押し殺し、歯ぎしりしながらも手をこまねいているしかない有様なのだそうだ。たまたま密漁品を入れたボックスにいきあたっても、あらかじめ用意しておいた領収書などをチラつかせ、それらは鮮魚店で購入したものだと言い張ったりすることもあるらしい。

そんな訳だから、こうして監視員が物蔭から彼らの行動を密かに監視し、密漁した貝類をどのボックスに仕舞うかを確認後、岬付近の洞窟や岩蔭に潜んで待機している監視艇にトランシーバで直ちに連絡を行ない、係員が現場に乗り込んで問題のボックスを押さえるのが、残された唯一の手段なのだという。警察に泣きついたところで、警察にも効果的な取締り方法がないため、手間も費用もかかるが、結局は漁民が交替で監視を続け自衛するしかないのだそうだ。

困ったことに、たとえ密漁の現物を証拠品として押収し、警察へ届けたり、裁判所へ告訴したりすることができたとしても、暴力団側もその道の専門家が関係筋に巧妙に手を打ってくるため、十分な処罰は望めぬという。その結果、彼らは次々に新手を繰り出して押しかけてくることになる。アクアラングの使用規制や遊泳禁止などの処置をとっても、すぐに開き直る彼らに対して効果的な罰則がある訳でもないから、彼らが磯遊びを口実に岩場にやってくるのを防止する決定的方法は存在しない。かつて彼らに狙われた奥尻島のアワビやウニ漁は、一時期壊滅的な打撃を被る事態になったと、監視員の男は説明してくれた。

私たちは、密漁グループの様子を窺いながらしばらく話を交わすうちにすっかり意気投合した。その密漁監視員は余別の漁師で、名を山田岩利さんといった。山田さんはなお監視を続けるかたわら、さらにこう呟いた。

「一時は千葉の船橋に出て働いとったけど、都会の生活に馴染めず余別に戻ってきた…でもなあ、漁業で生きてくのはもう厳しいよ…俺んちは、カアチャンが余別でちっこいスナックやってるからまだましだけどな…。中学生の息子がおるけど、漁師にはさせん。昔みたいに魚や貝が獲れる見込みはまったくねーからなあ」

大きく一息ついたあと、ちょっとうつむきかげんになった山田さんは、噛みしめるような口調でなおも言葉をつないだ。

「ニシンやカニの場合なんかもそうだけど、結局、獲り過ぎたんだよ。自由主義、個人主義の悪いところがですぎたんかな…。資源保護の方法についても、各組合員間での意見の食い違いが大きいんだよ…若い組合員と歳とった組合員とではとくに違いがひどい…。獲り過ぎないようにするには、お互い自主規制しなきゃなんないんだけどよぉ、昔から個人主義が当り前で長い間それに慣れてきた漁師の世界じゃ、なかなか共同規制するのは難しいのよ。歳とった漁師の場合なんかはとくにな…。もともと、漁師の生きがいちゅうのは、他の漁師以上にたくさん魚を獲ること、そして、その腕をほかの者に誇ることなんだから、獲るなっていうことは、漁師にその生きがいとプライドを捨てろって話にはなるわな・・・でも、資源が枯渇したら元も子もないし…なんとも悲しくもなるわ。自由主義もいいけどよぉ、そう考えてみると、共産主義や社会主義にもちったぁましなところもあるような気がするんだよなぁ…」

妙に思いのこもった山田さんの最後の一言に、一瞬、不意打ちを喰らった感じの私は、返すべき言葉に窮してしばしその場に立ち尽くした。

眼下の密漁グループには、まだ目立った動きはなかった。なお、そのままそこにいて、事の成り行きを見守っていたい気持ちではあったが、行く手の旅路がまだ遠いこともあって、私はそろそろ神威岬をあとにすることにした。山田さんとの再会をかたく約しながら…。

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