夢想一途バックナンバー

第10回 星闇の旅路

(5)怪鳥オオセグロウミネコ?

鳥たちのほとんどは、同種の白いカモメ様の姿をしている。ミューミューと聞こえる鳴き声からしてもこれは間違いなくウミネコだろう。羽を休めているものをつぶさに観察してみると、足はピンク色をしており、クチバシの全体的な色は黄色で先端上部が赤ぽい。

鳥の特徴が案内板にある東蝦夷日記の「クチバシとミズカキの赤き…」という記述ともほぼ一致している。やはりこれはウミネコだと納得しながら、気持ちよさそうに小羽を潮風に揺らすかれらの姿に見ほれたあと、展望台の入り口のほうへと戻りかけた。そのとき、たまたまこの周辺に棲息する鳥の種類を解説した別の看板が目についたので、近づいてその解説を読んでみた。意外なことに、ウミネコの名がそのなかには見あたらない。かわりに、オオセグロカモメの絵図と項目があって、足はピンク、クチバシは黄色で先端上部が赤く、カーウ・カーウ・ガガガと鳴くとある。そして、オオセグロカモメとウミネコの違いとして、ウミネコはオオセグロカモメより小さく、足は黄色、クチバシの先に赤と黒の斑紋があると書いてあった。

ウーンと思って、もう一度望遠鏡のところに引き返し、鳥たちの足の色を確認してみると、その色は皆ピンクをしていて、黄色のものは一羽もいない。どうやら、これはオオセグロカモメらしいのだ。だが、私の耳には、かれらの鳴き声がカーウ・カーウ・ガガガとはどうしても聞こえない。むしろその声は、鳥の生態番組などでよく耳にする、ウミネコの鳴き声に近いものがある。

鳴き声の感じや、案内板にある東蝦夷日記絡みの地名由来の解説にしたがうと目の前の鳥はウミネコ、展望台脇の比較的新しい鳥類解説板に照らすと、それはオオセグロカモメということになる。いささか混乱をきたした私は、二つの説の中庸をとり、これは、新発見の珍種の怪鳥「オオセグロウミネコ」なのだと自らに言い聞かせることにした。

まあ、実際のところは、オオセグロカモメというのが正しいのだろう。東蝦夷日記の筆者の記述が誤っていたというのが事の真相なのかもしれないが、いまさらマスイチというアイヌ語の意味を「オオセグロカモメの家」と修正する訳にもいかないだろうし、そもそも「ウミネコの家」という表現に較べて、ことばの響きもイメージもなにやら重たい。室蘭市当局もそのへんの事情についてはとっくに承知なのだろうが、説明も面倒だし歴史的な背景もあることゆえ、変にさわらないほうが利口だと心得ているのかもしれない。

マスイチ展望台をあとにした私は、そこからそう遠くないところに位置する測量山に登ってみた。標高199.6メートルのこの山は、かつて札幌・室蘭間の道路を造るとき測量の基点が置かれたため、この名がつけられたそうなのだが、それ以前、アイヌの漁師のあいだではホシケサンペ(最初に見える山)と呼ばれ、沖合いに漁などに出た際の航行の目印にされていたらしい。頂上にテレビ塔の立つ絵鞆半島最高峰のこの山からの眺望は、予想を遥かに超えた、実に素晴らしいものであった。

眼下右手には室蘭港とそれを取り巻く市街地が広がり、左前方には噴火湾、そしてそのむこうには、横津岳、駒ケ岳、有珠山、昭和新山、さらには蝦夷富士の名をもつ羊蹄山などの山々が一望のもとに見渡せた。うしろを振り返ると、太平洋の大海原がどこまでも続いている。掛け値なしの360度の展望といってよい。西の山並にむかって大きく傾く夕陽とその光のもとに映える夕凪の噴火湾を眺めながら、私はいつしか遠い想いに沈んでいった。そして、体内の奥深くにに眠る太古の記憶をひそかに手繰り寄せながら、心の中でささやかな歌を詠み呟いた。

遠くより夢と生くべく我来たり遠くへつづくこのたまゆらを

うかつにも、そのあとになってようやく気がついたのだが、山頂展望台の片隅には、なんと、与謝野鉄幹・晶子夫妻がこの地を訪ねたときに読んだ歌を刻んだ碑が立っていたのである。そして、その歌碑に目をやるうちに、私は自らの歌心のなさをいやというほど思い知らされることになった。

我立てる即涼山の頂の草のみ青き霧の上かな

(鉄幹)

燈台の霧笛ひびきて淋しけれ即涼山の木の下の路

(晶子)

昭和6年、天候は霧模様という付記がなされていることから、2人は、海霧の湧く夏のある一日、びっしょりと汗をかきながら徒歩で急な草の小路を辿りこの山の頂に登ったのだろう。車で容易に登れるいまと違って、それなりの運動を強いられたことだろうし、頂上一帯も現在のように舗装整備されておらず、一面に草原が広がっていたと想像される。本来の測量山という呼び名を用いず、「涼に即す」の意味を込め、「即涼山」という字を当てているのも、そのときの状況が偲ばれて実に面白い。

時の経つのを忘れその場に佇むうち、あたりは深い黄昏におおわれ、やがて室蘭港や噴火湾を取り巻くようにして広がる市街地の家々の明りが、なんとも言いようのない旅愁をたたえて瞬きはじめた。函館の夜景は有名であるが、この測量山から眺める室蘭の夜景もそれに劣らず美しいし、なによりもまず、その景観を独り占めできるのがよい。一つひとつが物語を秘めた街の明かりをいつまでも眺めていたい気分だったが、夕食の準備もあることゆえ、そろそろ動かなければならない。なお心残りではあったけれども、私は静かに山頂を辞すことにした。

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