夢想一途バックナンバー

第7回 星闇の旅路

(2)焼きホタテ

四輪駆動のトヨタ・ライトエースのハンドルを握って函館埠頭に降り立ち、簡単な車のチェックを済ませると、函館の街をいっきに走り抜け、駒ケ岳の裾野を縫って噴火湾沿いにでることにした。埠頭でいったん呼吸を整えているときには、地図上に立てた鉛筆の倒れる方向を目指すという、気まぐれな手も考えたが、北上を急げという旅の虫のささやき声に促されて、まずは素直に国道5号線をルートに選んだわけだった。この旅の虫の勘は思いのほかよくあたる。その勘に従ったおかげで、貴重な出逢いを体験したことも少なくない。

どう転んでも高級車には無縁な身だからということもあるのだろうが、かねてから車などというものは乗れゝばそれで十分だと思っている。車を磨く趣味などまるでもちあわせていないから、我が「哀車」はいつ見てもホコリだらけ泥だらけの惨状を呈している。

もっとも、だからといって、よいところがまったくないわけではない。ワンボックスカーの利点を活かして、いざとなったらどのような場所であろうと車中泊ができるようにしてあるほか、ちょっとした読書や書き物も可能で、軽登山、素潜り、釣り、炊事などの装具もコンパクトなものを一式備えてはあるから、自分なりには満足している。ただ、そのぶん、得体の知れない雰囲気がワゴン全体に染みわたってしまっているので、こんな車に同乗を望む者は、たとえあったとしても、かなり物好きな人には違いない。

鍬形兜の飾りを連想させる駒ケ岳の雄姿を右に見ながら、やわらかな緑の野を疾走した車は、ほどなく噴火湾沿いの森町にでた。森町から長万部までは湾岸沿いに快適な道が続いている。快適なのはいいのだが、法規遵守をと抑制を迫る表の意識の声を無視して、潜在意識の支配下にあるらしい右足のほうは勝手にアクセルを踏み込むから、いきおい速度計の針はグーンと右に振れて、気持ちよさそうに「免停ライン?」を超えにかかる。慌てて、表の意識がまたそれを抑えようとはたらきかける。それにしても、まさか北の大地でフロイト心理学の実地学習をしようなどとは思ってもみなかった。

長万部に入ってほどなく、フィッシャーマンズ・センターという表示のある建物が目にとまった。どうやら地元の漁協直営の海産物販売所らしい。入口のすぐそばで、坊主頭に鉢巻姿の人のよさそうなアンチャンがうまそうな大粒のホタテを殻ごと焼いている。こちらも横文字で「ベークト・スカラップ」などと書いてあったら即刻退散していたろうが、さいわい、ちゃんと「焼きホタテ、1個150円」と表示してあったので、さっそく2個注文してみることにした。

よく焼けるまでちょっと待ってほしいというので、そばでじっと調理の手さばきに見入っていると、ホタテは貝殻ごと炭火で焼くのがいちばんで、剥き身にして焼くとすっかり味が落ちてしまうと説明してくれた。ときおりスポイドで透明な液体を注ぎかけるので、それはなにかと問いかけると、沖のきれいな海水だという思わぬ返事が戻ってきた。焼きホタテの味付けには天然の海水が最適で、醤油などを用いるとしょっぱくなりすぎて、本来の味が死んでしまうというのである。なるほどと感心しながら、私は、お預けをされている犬か猫になったような気分でホタテが焼きあがるのをひたすら待った。

焼きあがった大粒のホタテに一口かじりついた途端、口いっぱいに広がる懐かしい潮の香りに誘われるようにして遠い記憶が蘇った。薩摩半島西方の東支那海に浮かぶ甑島で育った私は、学童の頃、密かにマッチを持ち出しては磯辺に行き、アサリやシッタカ、トコブシなどを採って大きな空缶に放り込み、適量の海水を注いで煮て食べたものだった。記憶のなかのあの味にはなまじの高級料理など及びもつかない。

それにしても、乾いた流木を集め、大きめの石を組んで竈をこしらえ火をおこし、ある種のスリルと感動を覚えながら貝のはいった缶をその上にかざしたあの懐かしい日々のことを、長い年月を経たのちに、この北海道の海辺の町で想い出すことになろうとは……。

貝の種類と調理法こそ違うものの、天然の海水を用いるという点では同じだったわけで、幼き日の我が海鮮料理の技術もまんざらではなかったことになる。この懐かしい味との思わぬ出逢いにすっかり満たされた気分になりながら、私は目を細め、舌鼓を打って二個のホタテを平らげた。

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