夢想一途バックナンバー

第6回 星闇の旅路

(1)津軽海峡にて

北から南へと青函フェリーのデッキを吹き抜ける霧まじりの潮風に、これから始まろうとするささやかな旅への想いをかきたてられながら、私は右舷のてすりに身をもたれかけ、遠く広がる津軽海峡の海面にじっと見入っていた。

船首によって真二つに切り分けられた海水のいっぽうが、一条の鋭く大きなうねりとなって船腹に弾かれるように斜め後方に走り去る。船尾へと目を転じると、白く泡立ち帯状に長くのびる澪が、刻々と流れ消えゆくこのたまゆらの生を象徴でもするかのように、淡く揺らめき光っていた。

起伏のすくない日常的な生活がしばし続いたりすると、いつしか自分の心の奥深くに棲みついた「旅の虫」がきまって激しく騒ぎだす。この夏もまた、そんな旅の虫の脅迫にも似たささやきに操られるままに、北の大地をめざしてふらふらと放浪の途につく羽目になった。

もっとも、今回の旅立ちに際して期するところがまったくなかったわけではない。ずいぶんと放浪を重ねてはきたけれど、このへんでもう一度初心に立ち返り新たな旅をしてみたい、そして、これまでとはすこし違った角度から現代の日本とそこに生きる自分の姿を見つめなおしてみたい…そんなほのかな想いが心の片隅に湧きあがってきてはいた。ささいな事象として切り捨てゝきたもの、さらには時間に追われてついつい見落としてきたもののなかにこそ、心の眼を開くためのまことの鍵が隠されているのでないかと、近頃、ひそかに思いなおしはじめたからでもあろう。

遠い国を旅していると、ごくありふれた風景や事物によってさえ、心の糸を激しく揺すぶられることがある。現代にあっては、漂泊ということばはもう昔ほどの厳しさや孤独の色合いをもちそなえなくなってしまってはいるけれど、それなりの心構えをもってのぞめば、知らない土地をあてどもなくさまようことを通して、弛んで鈍い音しか奏で出せなくなっている心の琴線を、もういちどしっかりと引き締めなおすことくらいはできるだろう。

旅をしながら日々の生活を静かに振り返って見ると、自分には無縁に思われた人々や物事のほうがほんとうは大切で、それまで大事だと信じてきた存在が必ずしもそうであるとはかぎらないのだと思いしらされることがある。

この時代にそんなおおげさなとはいわれるかもしれないが、道行きの舞台と役者はかわっても、つまるところ、この人生は一期一会…安定という名の重い荷物を草むらの蔭にしばしそっと降ろし置き、旅路でのちいさな出逢いを心の糧に、ささやかな命にゆるされるひとときを風のように吹き抜けていくのもまた悪くないだろう。

いつしか船は津軽海峡のなかほどにさしかかっている。ふと思い立って上部デッキに通じる白塗りの階段をいっきに駈け上がり、風の舞う上空を仰ぎやると、一群のカモメが船のあとを追いかけるようにして悠然と飛翔しているのが見えた。船のあとをどこまでも追いかけてくるカモメたちの姿を、はじめのうちはとくに気にもせず眺めていたが、そのうち、突然、「なぜなんだろう?」という素朴な疑問が湧き起こってきた。そして、その飛行の様子をつぶさに観察するうちに、私は、カモメたちが素晴らしい知恵を身につけていることを発見し、思わずうならされることになった。

はじめ船尾後方の上空に位置をとったカモメたちは、翼をいっぱいに広げ、首と、胴部に引き寄せた両脚の微妙な動きでバランスをとりながら、徐々に高度を下げる感じで前方へと飛行する。その飛行速度は船の速度よりわずかに速く、ゆっくりと船を追い抜いていく感じなのだが、やがて船のブリッジ近くの上空に達すると気流に身をまかせるようにしてくるりと反転し、再び船尾後方の上空に戻る。そして、また、さきほどとおなじ要領で飛行を繰り返す。一群のカモメたちがみな申し合わせたようにその飛行パターンをとりながらデッキの上空を何度も往復するありさまには、ある種のほほえましさと生命というもののそなえもつ不思議な輝きとが感じられた。

いったい、いつの頃から身につけた知恵なのであろうか、かれらは船の走行によって生じる一定した上昇気流に巧みに乗って、飛行に必要なエネルギーを最小限に抑えつゝ津軽海峡を渡っていこうとしているのだった。

カモメたちもまた自分とおなじく北への旅路にあると知った私は、かれらに対していいようのない親近感を覚えはじめた。ときおり首を左右にちょっと振って方向を修正しながら、自らの身体に働く重力と、気流に立ち向かうことによって生じる揚力とをものの見事に調整して滑空を楽しむかれらは、その飛翔の旅の行く手になにを夢み、なにを期しているのだろう。

実際のところはどうなのかはさだかでないが、カモメたちがこのように船のおこす気流を利用して海峡を渡るのは、風のあまりないおだやかな天候の日だと推測される。風が強かったり風の方向がめまぐるしく変わったりする荒れ模様の日などは、船の上空に生じる気流の方向が一定しないから、飛行は容易でないだろう。そうだとすれば、カモメたちは本能的に渡峡に適した日和を選び、適度の安定した気流を生む船を選んでいることになる。

それにしても、船の行く先をどうやって判別するのだろう。途中で追尾する船が方向を転換したりして、めざす方角へ向かわないとわかったとき、カモメたちは新たに別の船を捜すのだろうか。

近年のアンソロポロジイの研究によって、霊長類の動物はみな文化を伝達することが明かになってきているが、鳥類の場合などはどうなのだろう。カモメたちの社会のなかで、この渡峡技術も一種の文化として代々受け継がれていくものなのだろうか。それとも、それは、単に、本能という説明で片付けられるレベルのものなのだろうか。

あれこれとつまらぬ想いにひたるうちに特異な山容の函館山が右舷に大きく迫ってきた。思わず上空を見上げてみると、どこへ飛び去ったものかカモメたちの姿はすでにない。そして、哀しいまでに青く澄んだ空だけが、なにごとかを暗示するように、遠くどこまでも広がっていた。

はてしなき旅の行方をさりげなく秘めて輝く青き大気よ

私が心のなかでそんな歌を詠み終えるのを待っていたかのように、着港を伝え下船準備を促す放送が船内に響きわたった。にわかに慌ただしさを増した乗客たちの動きに合わせて私は急ぎ船倉に降り立ち、ワゴン車の運転席に腰を下ろした。

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