ある奇人の生涯

85. 幸福裁判の裁定と刑罰は?

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

裁判長に促され、陪審員25を代表するかたちでひときわスマートで知的な感じのする若者が立ち上がった。

「裁判長、はなはだ異例のことではありますが、これら3組の夫婦それぞれに対し、まったく同じ質問をし、それに答えてもらうようにしたいと思うのですが……。我々陪審員の間ではどの被告夫婦の罪が最も重いかについて一応見解がまとまりはしたのですが、念のため最後に一つだけ補足質問をし、最終的な裁定の参考にしたいと思うのです」

「それで、その質問は検事、あるいは弁護士を通じてですか?」

「いいえ、私が直接に質問し、3組の被告の方々にこの場ですぐに答えてもらいたいと存じます」

「裁判の進行上はたいへん異例なことなのですが、特別に陪審員の要請を認めることにしましょう」

裁判長の許可を得たその若者は、あらためて被告席のほうに顔を向けると、まず、肉屋夫婦に問いかけた。

「Mr.Butcher、あなたがたはこれまでの25年間の結婚生活というものをどのように感じましたか。長かったと思いますか、短かったと思いますか、それとも……。どうか正直に答えてください」

「あっという間でしたねえ。毎日忙しかったですがそれなりに充実もしていましたからね」

赤ら顔で太っちょな、まさに肉屋の親爺然とした男はそう答えた。

「Mr.Forester、あなたはどうですか」

「長い年月だったように思いますね。もっとも、森の木は何百年もおなじところにじっと立っているわけで、それに比べれば短いもんではありますけどね。ただまあ、森には鳥や獣など動物がたくさんいましたし、それにこの女房がいてくれさえしてたら退屈することなんかなにもありませんでしたよ」

背の高い、まるでなめし皮のような肌をした森林管理人はそんな風に応答した。陪審員の若者は残ったパブの経営者に向かって訊ねた。

「Mr.Publican、最後にあなたにお訊きします。あなたはこの25年間が長かったと?、それとも短かったと?」

どちらかというと無口だが穏やかそうな顔つきをしたパブの主人は左手を顎に当ててしばらく沈黙し続けた。そして、周囲の皆がどうしたのだろうと互いに顔を見合わせはじめた頃になってから、ぽつりと呟くようにいった。

「どう考えてみても25年は25年ということになるのかなあ……」

陪審員代表の被告らへの訊問が終わると、裁判長は直ちにくだんの若者に向かって裁定の結果を問いかけた。

「それで、陪審員の皆さんはいちばんの重罪者はどの夫婦ということに?」

「もちろん、Mr.Publican夫婦です。我々陪審員一同の25分間にわたる審議ですでにそうと決まってはいたのですが、皆が納得するように、確認の質問をしたわけなのです。いまの答えでPublican夫婦の罪が最も重いことが確実になりました」

「といいますと?……、もうすこしわかりやすく……」

「Mr.Publican夫妻にとっては過去25年間が長くもなければ短くもなかったということのようです。長くなかったというその言葉からも明かなように、被告らはそれなりに苦労のない満ち足りた生活を送ってきました。そしてまた、短くもなかったという言葉がおのずから物語ってもいるように、幸せな日々を十分堪能もしてきました。したがって、これら3組のうちでもっとも幸福だった夫婦、すなわち、いちばんの重刑を受けるに値するのは、ほかならぬこのPublican夫妻だということになります」

しばらく鎮まっていた会場にどっと笑い声が溢れ、傍聴席の村人たちはそれぞれに陪審員の裁定について小声で面白可笑しく囁き合った。あちこちから裁定の結果をやじる声があがったりもした。

その裁定結果をうけた裁判長は、しばらく間をおいたあと、トントンと木槌を鳴らして傍聴者に向かって静粛にするようにと促し、判決文と刑罰の言い渡しに取りかかった。

「Mr.Publican夫妻をもって至福罪の最高重罪者と定める。彼ら夫妻は過去25年間にわたり誰もが憎む幸福な生活を送り、不幸であるべき人の道に大きくはずれることになった。そのため本官は被告人夫妻に対してここに重刑を宣告する。刑罰は重たいベーコン用のギャモン肉一頭分をまるごと背負い続けること!……」

裁判長はそこまで述べると、パチンと指を鳴らし、奥の方に向かってなにやら合図らしいものを送った。すると、すぐさまそれに呼応して、係員が2人がかりで大量のギャモン肉をパブの経営者夫婦のところに運んできた。そして有無をいわさずそれらを2人に抱きかかえさせた。しばしその様子を愉快そうに眺めていた裁判長は、そのあと厳かに宣告した。

「これまで25年間も幸せという大罪を犯しつづけてきたことは断じて許し難い。よって今夜からは被告ら2人はこのギャモン肉の重荷を背負い、死ぬまでその苦しみに堪えつづけることを厳に命じる。なお、以上をもって本日の幸福裁判特別法廷を閉廷する」

その夜石田は裁判長を務めた知人の編集長の別荘で奥さんの手料理をご馳走になった。マカロニにナスとトマトと挽肉を加えて炒めただけの簡単な手料理だったが、なかなかに美味しかった。その料理の味を楽しみ、別荘の落ちついた雰囲気に深いやすらぎを覚えながらも、石田は、この編集長夫妻も間違いなく幸福罪に値しているはずだと思うのであった。実は裁判長自らが犯罪者でもあった先刻の法廷は、罪人が罪人を裁くという前代未聞の不祥事というわけだったのだが、鋭くその点を突く弁護士がいなかったのは幸いであった。そして、そのことが「幸いだった」というかぎり、すでに罪を重ね犯していることにもなるのだった。

そんな皮相な想いに耽っている石田の胸中を知ってか知らずか、編集長は彼に訊ねた。

「石田君、もし君があの裁判に関わっていたとすれば、どの夫婦が最も重罪を犯したと裁定していたかい?」

「そうですねえ、僕個人としてはMr.Butcherかなとも思いましたけれども、もし陪審員の一人として参加していたとすればやはりMr.Publicanを選んだかもしれませんね」

そう答えながら、石田は村に1軒しかないというあのパブ経営者の夫婦2人を相手に一杯やっている幸せな自分の姿を想像していた。そして、あのギャモン肉の重さをすこしでも減らし、なんとかして夫婦の苦しみを軽くしてやるためにも、こころゆくまでベーコン料理に舌鼓を打ってみたいものだなどと、胸中密かによからぬ算段をする有様だった。

翌日の午後3時頃にはパディントンに戻り着いたので、石田はその足でベーカー街の近くにあるマダム・タッソーの蝋人形館を訪ねてみることにした。ロンドンに来てこのかた一度足を運ぼうとはおもっていたのだが、まだ同館の訪問がならずにいた。パディントン駅の東方1キロ余のところにあるマダム・タッソー館まではのんびり歩いても20分たらずくらいのものだった。

フランス革命当時にルイ16世やマリー・アントワネットのデスマスクを制作したと伝えられるタッソー夫人が創設したこの人形館は、歴史上の人物や現存する各界の著名人をおそろしいほどリアルに再現した精巧な蝋人形が多数陳列されていることで有名だった。

百聞は一見しかず――その諺の重みがつくづく実感されるほどに、実際目にした蝋人形のリアルな迫力とその存在感は圧倒的で、ただただ石田は驚愕するばかりだった。人形というとどうしても日本人形のイメージがつきまといがちだったし、そうでなくてもせいぜいマネキン人形の無表情で硬直した姿を想い浮かべるのがいいところだったから、まるでそれらとは異質な人形群との遭遇に彼は頭がクラクラしてくるおもいがした。蝋人形と聞いただけで、半透明な蝋の冷え固まってできた見るからに血の気のない人形を想い描いてしまっていたが、目の前に立つ人形はどれをとってもいまにも動きだしそうな感じであった。それらの人形の体内ではドクドクと心臓が脈打ち、その手足や顔には温かい血が絶間なくめぐり通っているように見えるのだった。

それらのなかには時の首相ウインストン・チャーチルの人形などもあったのだが、もしも実物のチャーチルが同じ服装をし不動の姿勢をとってその蝋人形と並んで立っていたら、どちらが本物の首相なのか容易には判別がつかないだろうとおもわれた。双子の有名人などの蝋人形を作って陳列しておき、時々それら双子のうちのどちらか本物が片方の人形に入れ替わり、素知らぬ顔で立っていたら、よほど勘のいい人でないかぎりそのことには気づかないに相違なかった。

蝋人形館の入口や内部の通路のあちこちには守衛の人形なども立っていた。いや、より正確にいうと、実物の守衛と人形の守衛とが入り混じって立っていた。入館してほどなく、石田が通路脇の守衛の人形をよくできているなと感心しながらじっと眺めやっていると、しばらくたってその人形が悪戯っぽくウインクした。もちろん、それは実物の守衛にほかならなかった。その逆に、田舎からはじめてこの蝋人形館にやってきたとおぼしき老婦人が、人形の守衛に向かって真剣な表情で話しかけ、何事かを尋ねようとしているユーモラスな光景なども見かけられた。ともかくもそんなわけで、マダム・タッソー蝋人形館の初探訪は驚きと笑いと感嘆の連続のうちに終始したのだった。

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