ある奇人の生涯

15. 夜の繁華街に青い鳥が!

絵・渡辺 淳

絵・渡辺 淳

当時の青島の駅は中世の小城か古いカトリックの教会を想わせるかたちをしていて、中央と左右にそれぞれ一基ずつ先端の鋭く尖った六角錐状の屋根をもつ尖塔が配されていた。とくに一番大きな中央の尖塔の頂きには十字架が高々と掲げられており、その一点からしてもこの青島というところが中国の都市のなかにあって文化的に異色の存在であることは明らかだった。

不思議な感慨にひたりながら青島駅構内のベンチでとりあえず一息ついたあと、宵闇の迫るなかを石田は近くの繁華街のほうへと向かって歩きだした。現在では孫文の異称「孫中山」にちなんで中山路と呼ばれている夜の繁華街一帯にはなんとも異国的でロマンティックな雰囲気が漂っていて、初めて目にするそのどこか幻想的な光景に彼はたちまち魅了されてしまった。

だが、なにぶんにも彼はもはや無一文の身ときていた。しかも、天津で上海特急に乗車してからはなにも食べていなかったから、青島の夜の繁華街の美しさに心を奪われはしたものの、しばらくすると空腹感に襲われそれどころではなくなってきてしまった。かつて横浜の山下公園で極度の空腹のために行き倒れになったときのことが脳裏に甦り、そうなるまえにどこかでちょっとでも食べ物でも恵んでもらえないかという淡い期待を抱きかけたりもした。自業自得の事態とはいえ青島到着早々に物乞い同然のことをするなど情けないかぎりであったが、ともかくもその場を凌ぐにはそうするのもやむをえないことだった。

ところが自らが悪運の強さと言って憚らないその強運のゆえに、このときもまた淡い期待が「濃い現実」にかたちを変えて彼の眼前に立ち現れた。その日も十三日の金曜日だったのかという問いかけに、それについては明確な記憶はないけれど、たとえ十三日の金曜日ではなかったとしても「銀曜日」くらいのことはあったのかもしれないと石田は笑って切り返してきた。

南北一キロほどにわたってのびる繁華街の中ををふらふらと歩いていると、「青い鳥」というネオンサインが突然目に飛び込んできた。しかもそれは中国語ではなく日本語で「青い鳥」と表示されたネオンサインだった。場所が青島なので「青い島」じゃないのかとあらためて確認しなおしてみたが、間違いなくそこには「青い鳥」という日本語の文字が表示されていた。

それはダンスホールのネオンサインだったのだが、まじまじとそのネオンサインを見つめやった石田は、わざわざ「俺の」という二文字を青い鳥のまえに付け足し、内心密かにもしかしたらこれは「俺の青い鳥」じゃないかと呟いていた。まったくの偶然のこととはいえ、そんな切羽詰った状況のなかで、青い鳥というなんとも思わせぶりな日本語の文字と出遭うこと自体なんともできすぎた話ではあったが、事実は事実に違いなかった。

彼はそのネオンサインに誘い導かれるようにしてダンスホールの中へとはいっていった。東京でカフェバー勤めをしていた頃、当時大流行していた銀座などのダンスホールに足繁く通い折々アルバイトで裏方などをやったりもしていたから、ダンスホールのシステムや内部の事情には通じていた。彼にすれば、まずは一杯の水でも恵んでもらえれば有り難いというのが本音であった。実際に踊るつもりならチケットを買ってダンスフロアに入らなければならなかったが、当時のダンスホールではダンスフロアーの外に立ってダンスを眺めながら水を飲むだけなら只ですませることができたからだった。

ところが、一杯の水を求めて飛び込んだそのダンスホール「青い鳥」で、石田は予想もしていなかった幸運にめぐりあうことになったのだった。不慮の事態続きの長旅に疲れ果てた彼を迎えるべく、青い鳥が待ってくれていたというのである。その経緯とそれに続く一連の展開を懐かしそうに語る彼の表情は、不思議なほどに明るく輝いて見えた。

「ほんとうに水だけ飲ませてもらおうって思ったんですか?――そのダンスホールで誰か可愛い女の子でも探し出し、巧みな会話とダンスのテクニックとでタラしこんで一時的にでも面倒を見てもらおうという魂胆だったんじゃないでしょうね!」

そう突っ込みを入れると、愉快そうに笑いながら相手は意外な答えを返してきた。

「ハハハハハ……、バレてしまったかって言いたいところですけどね、実際にはそこまでやる必要はなかったんですよ。青い鳥が一羽ホールの中を飛んでいましたんでね」
「はあ?……青い鳥が飛んでたんですか?」
 思わせぶりなその言葉の含みを汲み取りかねてそう問い返すと、石田はこちらのいささか困惑気味な表情を楽しみでもするかのように言った。
「とりあえず青い鳥に入ってみますとね、男たちの相手をして踊っている女性はみんなプロのダンサーばかりでした。当時は頻繁に国際ダンスコンクールなどが開かれていましてね、国内外を問わず社交ダンスが盛況を極めていたんですよ」
「それでどうなったんですか……お金がないから石田さんは踊らなかったわけでしょう?」
「なんとそのホールのダンサーの中にベティがいたんですよ。いやあ、偶然もいいところでしたからさすがに驚きましたね。東京にいる頃にカフェバーや銀座のダンスホールで一緒に働いていた女の子でね、背の高いきっぷのいい娘でもともととても親しい仲でした。まさか彼女が青島に来ているなんて考えてもいませんでしたからね……」
「人間の青い鳥だったってわけですね。それでそのベティっていう女性は外国人だったわけすか?」
「いや、れっきとした日本女性なんですが、当時は、東京の銀座をはじめとする各地の繁華街ではカフェバーやダンスホールが大流行でしてね、そこで働く粋な女性たちはわざと洋風の名を名乗っていたんですよ。芸妓さんの源氏名みたいなものですね」
「へーっ、そうだったんですか。ぜんぜん知りませんでしたねえ、そんなこと……」

応答こそそっけなかったが、こちらにすれば、厚い記憶の古層の下に圧し固められていたドラキュラ老人の青春の化石を運よく掘り当てた気分だった。

「一踊りし終えて休んでいるベティに声を掛けると、さすがに彼女のほうも驚きましてねえ。どうして石田さんこなところにいるのって……」
「そりゃそうでしょうよ。それで、その晩はベティさんのところに転がりこんだわけですね、青い鳥の庇護のもとに……」
「助かったって思いましたよ。とりあえず簡単にこちらの事情を説明しましてね、彼女のおごりで食事を取らせてもらいました。そのとき何を食べたのかはもう憶えてはいませんけれどね」
「もちろんその晩はベティさんのところにお世話になったんですよね」

問い詰めるようにそう念を押すと、老翁はこちらの読みをずすように軽く首を振った。

「確かにベティの家には泊めてもらったんですけどね、彼女のほうはその晩わざわざ友達のところへ泊まりにいったんですよ。気性の激しい女の子でしてねえ、ダンスホールでダンサーをやってはいてもそのへんのことはとてもしっかりしていました」
「ふーん、そうだったんですか……、でもしばらくはベティさんの家に居候してたんでしょう……、すると彼女はその間ずっと友達の家に寝泊りしてたというわけですか?」

もう一歩踏み込んだそんな問いかけに対し、石田は言葉を濁しストレートには答えてくれなかった。だが、たとえ一時的なものではあったとしても、その後の二人の間にはそれなりの関係が生じていたと考えるほうが自然であるようにも思われた。
 
天主教堂という教会やその周辺のたたずまいに象徴されるように、東洋のものとはまるで異なる青島の街並みの美しさに石田はすっかり魅了された。青島港やその周辺一帯の変化に富んだ海岸美の素晴らしさも彼の心を感動させた。さらにまた青島市街の北東に位置する山東半島の中央部や先端部には奇岩奇勝に恵まれた風光明媚な山々や道教寺院太清宮など風変わりな観光スポットが点在していて、石田の美的関心や知的好奇心を存分に満たしてもくれた。中国各地で繰り広げられている日中間の熾烈な戦闘などにはまるで無縁な、それはそれはなんとも平和で心安らぐ光景だった。

まったくの偶然に導かれてのことではあったが、自然美と人工美とが見事に調和した青島というこの町にやってくることができた幸運を彼は胸の奥でしみじみとかみしめた。憧れの上海入りを断念したわけではなかったけれども、しばらくの間この青島に身を落ち着けてみることに異存はなかった。そんな青島の町での一年前後にわたる生活の様子についても、石田はさらに詳しく話してくれた。当時青島は日本の植民地と化していたわけだから、歴史的な観点に立って当時の出来事を振り返ってみるとき、かならずしもそれらすべてを肯定すべきではないかもしれない。しかしながら、当時日本の占領支配化におかれていた国外の町ならではの人々の生活の様子は、話を聞く者の立場からすれば実に興味深いものではあった。

「そんなわけで、ともかく青島での生活が始まったわけですが、いま思うとそれはそれでなかなか面白かったんですね。貴重な体験といいますか……」
「文無しの石田さんは、生活費を稼ぐためにいったい何をやり始めたんですか?、まさかいつまでもベティさんに面倒をみてもらうわけにもいかなかったでしょうし……」
「もちろん何もしないわけにいきませんでしたよ。母親の世話になりながら死んだ親父のザマを見ていて、女性の紐になるのだけは絶対に嫌だと思ってましたからね。青島に住むようになってしばらくは例のダンスホールの青い鳥で裏方なんかをやっていました。当時の人間としては身体も大きなほうでしたから、用心棒なども兼ねましてね」
「ひゃは!……用心棒ですか、まさかドスか拳銃なんかを隠し持っていたというわけじゃなかったんでしょう?」
「ハハハハハ……、さすがにそんな物騒なことはしなかったですよ。私は身長が一七六センチあって一見大柄で強そうに見えましたから、ホールにいるだけでよかったんです。実際にはすこしも強くなんかなかったんですが、しつこいお客がいるときなどはベティらのようなホール勤めの女性ダンサーのガードとして役立つことはありました」
「石田さんはダンスは結構うまかったんでしょう。女性客の相手なんかはなさらなかったんですか?」
「見よう見真似でまあまあ踊ることはできたんですが、時代柄もあってダンスホールに踊りにやってくる女性の一人客というのはそうそうはありませんでした。だからそんな機会はほとんどもてなかったですね。お客は男性ばかりで、たまに女性がいたとしても連れの男性がいるのが普通でしたから……」

石田はそう言って苦笑したが、その口ぶりから想像すると、ダンスそのものはその頃かなり得意だったようである。

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