ある奇人の生涯

一年の終わりに

2002年も残りあと一週間ほどになってきました。とりとめもない手記であるにもかかわらず、この一年、「マセマティック放浪記」をご愛読くださった皆様方には心からお礼申し上げます。また、あわせて、よき新年をお迎えになられますように、心からお祈り申し上げる次第です。

ところで、来たる2003年の1月1日は水曜日です。そして、水曜日は私が筆を執るこの「マセマティック放浪記」の更新日にほかなりません。AICは年中無休が売り物のようですので、「マセマティック放浪記」は来年正月早々に新しい内容へと更新されることになります。縁起をかつぐわけではないのですが、ある意味でこれ以上のグッド・タイミングはないとも思われますので、来年の1月1日からはちょっとした新趣向にチャレンジしてみることにしました。

読者の皆さんにはご迷惑なことかもしれませんが、「ある奇人の生涯」という長編伝記実話小説を連載させてもらおうと考えています。いまのところ、一回につき平均十五枚程度の掲載を予定しているのですが、終了までにすくなくとも一年ほどはかかるのではないかと思います。ことによったら、それ以上の時間を要するかもしれません。横書きでの長編小説連載はどうなのだろうかという不安もありますし、段落や文章のリズムなどについてもいろいろと問題は多いのですが、いまやインターネット隆盛の時代とあれば、その潮流に乗って実験的に横書きでの小説掲載を試みてみるのも一興あることかもしれません。

ただし、もともとの原稿はいったん縦書きに打ち出してから、文体や文章のリズム、段落などの調整や手入れをしてありますので、お時間があり、かつ技術的に対応処理が可能な方は、テキスト部分だけをワードや一太郎に呼び込んで縦書きに変換し、段落などを通常の形式に直してお読みいただければ幸いです。筆者自身も一応校正はおこなうつもりではおりますが、勘違いやワープロ入力処理過程で起こるこまかなミスなどを完全に防ぐことはできません。またAIC編集サイドの人手不足などの事情もあって、通常出版物におけるような、編集部による十分な編集校正等の作業は望めませんので、ある程度の誤植や誤謬、不備などはお見逃し願うしかありません。

この伝記実話小説は、その題名からも想像がつきますように、昨年まで長野県穂高町の一隅に住んでいた石田達夫という稀代の奇人の生涯を描いたものです。昨年八月に他界したこの石田という人物については、マセマティック放浪記の中でもこれまで何度か書かせてもらったことがあります。「2000年04月26日・人生模様ジグソーパズル」、「2000年6月14日・ドラキュラ邸の宵」、「2001年04月25日・十三日の金曜日に」、「2002年04月03日~2002年04月17日・ドラキュラ邸追想記(全3回)」などのバックナンバーをお読みくだされば、あらかじめおよその人物像は把握していだだけるのではないでしょうか。

小説の舞台は十数年前の信州穂高町に始まり、戦前の博多、東京、横浜、そして中国の天津、青島、大連、上海、さらには遠くエリザベス女王即位時前後の英国にまで及ぶことになります。登場人物も実に多様で、後半部においては若い時代の平成天皇をはじめとし、昭和史を飾った数々の有名人たちが実名で登場することにもなろうかと思います。まだそこまでは最終的な構想の詰めをおこなってはいないのですが、そのあと舞台は再び日本に戻り、一年前の穂高町で話が終わることになるでしょう。現段階でこんなことをいうのもどうかとは思うのですが、実録に基づく波瀾万丈の物語ですので、かならずや面白く読んでいただけるものと確信しております。

実を言うと、当初の予定ではこの伝記実話小説は、原稿用紙五百枚前後の長さに纏め、石田達夫翁の存命中に上梓するつもりでおりました。日本経済新聞社出版局の編集者との話し合いを通じて2001年までに同社から刊行してもらうように、ほぼ話もついていたのです。しかしながら、他の仕事で私が多忙をきわめたことのほか、多岐多様にわたる事実考証に多くの時間を要することなどもあって原稿の執筆が思うにまかせず、結局三分の一ほどを書き上げたところで足踏み状態になっていました。そして、そうこうしている間に石田達夫翁が他界してしまったのです。

亡き石田翁の霊を弔うためにもこの伝記小説をぜひ完成させなければならないと考えた私は、それまであった日経との話を振り出しにもどし、原稿枚数に制限を設けずにこの世紀の奇人の奇跡ともいうべき生涯の足跡を書き抜いてみようと決意したようなわけなのです。最終的に原稿用紙何枚程度でおさまるのかはわかりませんが、当初予定していた五百枚をはるかに超えるだろうことだけはまず間違いありません。なお、ご多忙なお身体ゆえ毎週とはいかないかもしれませんが、「自詠旅歌愚考」の挿絵でお馴染みの渡辺淳画伯に新作品のほうの挿画もお願いしようかと考えております。

書き下ろしにせず、AICですこしずつ公開しながら執筆を進めることにしたのは、ひとつにはAICで他の記事を書く場合に要するであろう時間をこの伝記実話小説の執筆に当てようと思ったからでもあります。しかし、それ以上に大きな理由は、様々な事情のゆえに世に知られることのなかったこの石田達夫という人物の途方もない人生を掘り起こし、インターネットという最新メディアを通じてそれを広く紹介することによって、昭和裏面史とでも呼ぶべき隠れた出来事の数々を一人でも多くの皆さんに知ってもらいたいと考えたからなのです。

そんなわけですから、先々は単行本にしてもらうつもりではおりますが、現段階では具体的なことは未定です。いずれにしろまだかなり先のことになりますので、じっくりと連載記事を読んでもらい、そのうえでとくに関心をもってくれるような出版社があれば、あらためて加筆修正をおこない、再編集をしてもらったうえで刊行をお願いしようかと考えています。

なお、これまで筆を執ってきた「自詠旅歌愚考」につきましては、「ある奇人の生涯」の記事連載の合間などに、月一回程度の割合で折々連載を続けさせてもらうつもりです。旅をテーマにしたこれまで通りの放浪記をときには一回読み切りでアップすることもあるかもしれませんが、石田翁の伝記執筆が完了するまでは、これまでのような複数回にわたる放浪記の掲載は控えさせていだだこうと考えています。

微力な身ではありますが、今後とも精神誠意執筆に励むつもりではおりますので、読者の皆様のご支援とご声援のほど、こころからお願い申し上げてやみません。

平成14年12月 本田成親 拝

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