エッセー

37. 旅想愚詩

折あるごとに海や山をはじめとするいろいろなところを旅しながら、ふと心に浮ぶその時々の想いを我流の詩に託してきた。このコーナーにおいて、これまでも二、三度ほど詩だけの原稿を書いたことがあるが、久々にまた、おのれのささやかな心の呟きを詩という形をとって書き述べさせてもらうことにしたい。この歳になると、どうしてもおのれに残された今後の時間を見すえるいっぽうで、これまで生きてきた実りなき時間を改悛の念を込めて省みたくもなってくる。そんな胸中の思いを述べさせてもらうには、たとえ下手なものではあったとしても、詩という形式に頼ったほうがよいようにも思う。そこで、今回は旅先で作ったささやかな三篇の詩を紹介させてもらうことにした。

《 福寿草 》

福寿草が咲いている
 青い天の深みから 春の息吹を地上に運ぶ
 明るいがまだひんやりとした陽光の中の
 黄色だけをすくいあつめるようにして
 福寿草が咲いている

まだ浅いこの信濃の春も
 やがて暖かな安らぎに包まれて
 ひそやかな悦びのまどろみ息づく
 花のしとねと化すだろう
 そして旅人の訪れを 乙姫のように待つだろう

でもわたしは その柔らかな光の床で
 贋の悟りを開こうとは思わない
 白い冬が青い牙で 星を弾く氷を削って
 深い柩を造ってくれたそうだから

愚かな旅に凍てつく身体が
 冬の柩をひとつ埋めたら
 それを肥しに
 また福寿草が 一輪くらいは咲くだろう

眼から流れるわたしの時間に
 まだいささかの残りが有って
 冬と争うこの気力に なお衰えがないならば
 またきっと 冬と春の谷間に開く
 福寿草に逢えるだろう

福寿草が咲いている
 すくいあげた黄色い光を
 開いたばかりの花びらで
 何回も何回も濾し分けるようにして咲いている

《 山 想  》

冬の山旅のはての 凍る夕映えの奥に
 骸骨の影をした魔笛の主を見るのは
 なにもいまに始まったことではない
 どうせ私は 抗しがたいその笛の音に誘われて
 茜色の罠に自らはまっていくだろう

しかし御身よ! 我を待つ影よ!
 この魂を奪うなら
 せめてそれを染め変えて奪え 撼わせて奪え!
 天地の変化(へんげ)の妙を尽くして
 無窮の闇へとこの身を奪え!

純白の雪が 青い氷が
 私の温もりを欲するというなら
 西空を荘厳に彩る絵の具に
 私の血潮がいるというなら
 そのすべてを献げようではないか

しかし御身よ 笛を吹く影よ!
 たとえ虫けらにも劣るこの魂であるとしても
 そのひとつだけは感涙に包んで奪え
 それが御身の偽りの姿だとしても
 もてる衣裳を華麗に纏い
 明星のきらめく夕冴えの彼方へと私を奪え
 御身の魔性がこの魂を揺るがすに足りるなら
 あした白い骸と化し 呪いの歌を口ずさむを
 なんで私が嘆こうか

鋭く凍る冬の稜線を越え 自ら命を削りながら
 峻峰の黄昏を私が待つのは
 そう御身に訴え語りかけるためだ

《 渚 》

たしかこの渚を心許ない足取りで歩いたような気がします
 そう まだ幼かった頃です もう遠い昔のことです
 砂に足を取られながら 寄せる波に小さな靴を濡らしながら・・・・・・

捜していました ながいあいだ この渚を・・・・・・
 あなたはひとりで座っていました
 すぐ近寄れそうで それでいてどうしても近寄れないところに
 ただ黙って微笑みながら・・・・・・

歩き疲れて砂の上で眠ったような気がします
 ふと気がつくともう夕暮れでした
 遠い海面(うなも)が赤紫に輝いていました
 はっとしてあたりを見回すと
 渚と垂直に二筋の足跡か続き 海の中へと消えていました

その日が最後でした あなたの姿を目にしたのは
 あれからずいぶんと捜しました 遠い記憶のこの渚を・・・・・・
 砂と波と夕陽とが 解いてくれるような気がしたからです
 わたしという この小さな存在の方程式を・・・・・・

解けなかったのですね あなたにも
 あなたはわざと 解のない方程式を渡したんですね
 この浜辺で 幼かったわたしに
 解けないことも 解く必要のないことも知りながら

おかげでわたしは生きてきました
 小さな謎をいつもどこかで気にかけながら
 わたしもまた渡すべきなのでしょうか
 わたしもまた残すべきなのでしょうか
 解けないとわかっている方程式を・・・・・・
 生命という名の赤いビーズを無数につなぐ
 目に見えない細く長い糸として・・・・・・

カテゴリー エッセー. Bookmark the permalink.