エッセー

28. 上海駈足紀行(最終回)

いよいよ帰国当日の朝となった。ホテルをいったんチェックアウトし、手荷物類をフロントに預けたあと、Fさんに案内されて上海の最大繁華街である南京東路へと出向いた。相当に道幅のある南京東路の両側には一流ホテルや大銀行、商社、商店などのビルがずらりと建ち並び、大通りと交差する横丁の路地ともどもに一帯は大変な活況を呈していた。南京東路の広い街路全体がすべてタイル舗装の歩行者専用道路になっていて、自動車はいっさいシャットアウトされていた。ただそのかわりに、遊園地にあるような小型の無軌道無蓋電車みたいなものがお客を乗せて東西にのびる街路を往来していた。街路は観光客を含む大勢の通行人で溢れ返り、しかもその数は刻々と増えていっている感じであった。日中だったのでその雰囲気をつかむことはできなかったが、夜になると周辺には色とりどりのネオンや照明類が灯り、誰しもが思わず息を呑むような光の一大競演が繰り広げられるらしかった。

大通りを西に向かって歩いていると、ひときわ色鮮やかな数階建ての老舗風建物が街路の右手に現れた。それは何の店かとFさんに訊ねてみると、昔からある漢方薬店だとのことだったので、ここはとばかりに野次馬根性を丸出しにし、中を覗いてみることにした。もちろん、売られている薬を買う気などさらさらなかった。日本の漢方薬店とは異なり、中はデパートの売り場そっくりの構造をもつ広いフロアになっていて、各部署にはそれぞれの漢方薬の専門家と思われる店員が配され、お客に対応してくれるようになっていた。入口のすぐそばの大きなガラスケースの中には細くてずいぶんと痩せこけた白い朝鮮ニンジンが陳列保管されていたが、値段を見ると12000元という表示がなされていた。日本円にしても15万円以上で、中国人の平均月収からするとその何ヶ月分の収入にも相当するたいへん高価なものらしかった。しかし、その価値を知らない者が見かけたらすぐにゴミ箱にでも捨ててしまいそうなこの貧相なニンジンにいったいどんな効能があるものなのか不思議でならなかった。

店内には実にいろいろな漢方薬が売られており、異様とも奇妙とも感じられるそれらの薬類を目にしながら、中国数千年の歴史の一端を垣間見る思いであった。有名な夏草冬虫ひとつをとっても実にさまざまなものが売られており、なんとも興味深いかぎりであった。なかにはこんなものが薬になるのと思わず首を傾げたくなるようなものや、まるで得体の知れない代物、稀種動物の体の一部、さらにはそれらの動物の分泌物らしいものから出来た薬までがあって、無責任に見て回るだけなら、面白いことこのうえなかった。

漢方薬店を出たあと、Mさんがやはり南京東路に面する月餅店に立ち寄り月餅をお土産に買いたいというので、一緒にその店に入ってちょっとだけ中の様子を覗いてみた。店内にはすでに地元のお客が長い列をなして並び、月餅を買おうとしているところだった。中国ではどの家も仲秋の名月の日に月餅をお月様にお供えするのだという。日本のお餅やお団子の代わりを月餅がつとめているというわけだ。驚くほどに大きく立派な色つきの箱に入った月餅を次々と買い求め、それを持ち帰ったり発送依頼をしたりしているお客の姿が印象的だった。

Mさんが月餅を買うのにしばらく時間がかかりそうだったので、私は一人で街路に出て南京東路の西端までを急ぎ足で往復した。国慶節の日が近づいているらしく、街路の一角では大きな写真看板や各種装飾品類の準備が進められているところだった。人込みを掻き分けるようにして月餅店へと戻る途中、いきなり背後から「社長!」と声をかけられた。「エッ?」と思って振り返ると、そこには中年の中国人の男が立っていて、袖を引くようにしながら、すかさず、「いい贋物があるよ!」とちょっと癖のある日本語でたたみかけてきた。どうやら何かしらの一流ブランド品のコピー商品を売りつけようという魂胆らしかった。もちろん、相手の誘いを無視してその場を立ち去ったのだが、「いい贋物」という言い方がとても愉快に感じられた。おそらく、その男は、「いいイミテーション・グッズ」と言うくらいのつもりでそんな表現を用いたのだろう。

あとで耳にしたところでは、中国人が日本人らしき旅行者を見かけると「社長!」と声をかけるのは、東南アジアの旅先などでよくあるように日本人をおだて上げるためだけではないらしい。相手が日本人かどうかをすぐには判別できない場合、「社長!」と声をかけてみる。すると、その言葉の意味がわかる日本人なら、良いにしろ悪いにしろ反射的になにかしらの反応を示す。その様子から相手が日本人だと判ると、商品を売りつけにかかるという算段であるらしい。もちろん、日本人はお金を持っているから、物売りの連中にはいいカモなのだろう。敵もなかなかにしたたかなのである。

南京東路をあとにすると、豫園の近くにある「春風得意楼」というお茶屋に連れて行ってもらった。日本へのお土産に中国茶を買っていこうと思ったからだった。Fさんの話によると、地元の人々の間でもとても信用のあるお茶屋さんだそうで、日本の観光客もよくやってくるとのことだった。そのお店の二階へと上がった私たちは、すぐにそこのテーブルの一つに通された。隣のテーブルではお店の主人かと思われる老齢の男性がとても流暢な日本語でお客に向かって細々としたお茶の説明をしているところだった。もちろん、そこのテーブルを囲む何人かのお客たちは皆日本人のようであった。

我々が腰をおろしたテーブルには若い女性の店員がやってきて、すぐに中国流のお茶の入れ方を実演しながらその効能などについて詳しい説明をし始めた。日本人客がよくやってくるせいでもあるのだろう、彼女もまた日本語がかなりうまかった。最初に烏龍茶を入れてくれたのだが、独特の形の急須を使い最初に軽く煎じて容器に注ぎ出した分は蓋をした急須の上からかけ流して捨てられた。急須全体を適度に温める目的もあるのだろうが、最初に煎じたものは味が悪いか、さもなければ茶葉の表面に付着している余分な物質を洗浄する意味合いなどもあるのかもしれなかった。日本のお茶の場合にはそんなことなどしないので、ちょっと不思議な感じもした。

そのあとであらためて湯を入れ、まるで手品師のような手つきで煎じ出したものがお猪口ほどに小さな器に注がれ、我々の前に差し出された。それまでペットボトルに詰められた烏龍茶しか飲んだことがなかったので、本来の手順を踏んで煎じられた本場の烏龍茶を口にするのはちょっとした感激であった。まずはその匂いを楽しんでもらいたいと言われたので、そっとその小さな器を手に取りほのかに立ち昇る湯気に鼻先を寄せると、馥郁とした香りが顔全体を包み込むようにして伝わってきた。そのあと、器の中の烏龍茶をそっとすすってみると、これまた身体中に染みわたるような独特の味がした。その時まで烏龍茶というものがこのようなものだとは知らなかったので、自分にとってはちょっとしたショックでもあった。

烏龍茶のほかにも、湯を注ぎ込むと容器の中で見事に開くジャスミンティーの一種の花茶をはじめ、様々な種類の薬茶を入れてもらい次々に試飲させてもらったが、香りにも味にもそれぞれに特徴があって初体験の身にはとてもおもしろく感じられた。日本人の先客らが立ち去ったあと、その相手をしていた店主らしい丸顔の老人は私たちのテーブルにやってきた。そして、終始にこやかな笑みを湛えながら、見事な日本語で中国茶についての詳しい解説をしてくれた。

中国ではお茶は漢方薬のひとつとして飲むもので、それぞれに異なる薬効をもつ様々なお茶が売られているとのことであった。日本のように大きな茶碗にお茶を注いで何杯もがぶ飲みするのではなくて、あくまでも薬茶として健康維持のために飲むのだそうで、その話を聞いてはじめて、お猪口のように小さな器が用いられている理由が納得できた。その老人の話によると、近年は中国各地で産出されるお茶の栽培には生産量アップのため農薬が乱用されるようになってきており、その意味でも品質には十分注意を払わなければならないとのことであった。そのために、この春風得意楼は国とタイアップして生産業者を徹底指導し、厳格に管理生産された安全で品質のよい無農薬茶だけを取り扱うようにしているので、その点は安心してもらいたいとの補足説明もあった。

日本円も使えるというこのお店で、私は、精力活性作用のあるというチベット産の「西蔵雪蓮花・珠峰聖茶」、腸をはじめとする臓器の保全にきくという海南島方面産の「一葉茶」、それにとても香りのよいジャスミンティーの花茶「葉莉龍球」の合わせて三種のお茶を土産用に買い求めた。代金は日本円で総額一万円二千円ほどになったが、幸いなことに、帰国後にそれらのお茶を友人らに配ったところ大変に好評であった。

この上海駈足旅行の最後に足を運んだ観光スポットはグラント・ハイアット・ホテルにもなっている上海一の超高層ビル「金茂大厦」であった。一階正面玄関から入ったところにあるロビー一帯はホテルのフロントマンや接客ボーイらが立ち並び、ずいぶんとものものしい雰囲気が漂っていたが、Fさんの先導で地階に降りると、意外なことにそこは広大なスペースをもつセルフサービス風の食堂になって、和洋中様々な種類の料理が供されていた。値段もごく庶民的な感じで、ちょうど昼食の時間帯でもあったので、店内はビジネスマン風の男女や個人旅行者らしい人々で混雑していた。どうやら我々が入った正面玄関やその奥のロビーなどを通らずに、誰もが気兼ねなく利用できる通路が別にあって、お客のほとんどはそこから出入りしているらしかった。グランド・ハイアットの宿泊客らの利用するレストランなどはもちろん別のところにあったのだろう。

その食堂で簡単な昼食を済ませたあと、我々はいよいよ高さ402メートルのこのビルの88階にある展望室に上ることになった。一人50元の観覧料金を払い高速エレベータに乗ると、たちまちのうちに高度が上がり、最上階の展望室に到着した。360度の眺望のきく総ガラス張りの展望台からの景観に我々はただもう圧倒されるばかりだった。四方には林立するビル群がどこまでも広がり、眼下には蛇行しなが大きくのびる黄浦江の流れが望まれた。その川面に浮ぶ数々の船はまるでオモチャの小舟そのままに見えた。自分が立つこのビル自体の壮観さもさることながら、平野一面を埋め尽くすビル群の全貌を目にした時の驚きはひとしおだった。

その凄まじいばかりの光景を目にすると、中国という国がこれまで内に秘めてきた膨大なエネルギーがいまを盛りと滾りに滾り始めたことだけは紛れもない事実だと確信せざるをえなかった。日本のマスコミを通して中国の経済発展ぶりを見聞きはしていたが、正直なところいまひとつ実感は湧かなかった。しかし、こうして実際に中国経済の中心地に立ってみると、その世界にはまるで疎い私のような者でも、この国の活力の凄まじさを有無を言わさず思い知らされてしまうのであった。

黄浦江のナイト・クルージングで目にした夜景も素晴らしかったが、この展望室から眺める夜景はいっそう感動的なのだろうなと想像しながら、いつまでも飽きることなくその桁外れの大都市の眺望を楽しんだ。この旅で訪ねた豫園や多倫路のあたりの位置もはっきりと確認することができた。旧市街の残るところはそこだけ家々の屋根が古びていて赤っぽく、建物の高さも周辺に比べてごく低いので、地図と引き比べるまでもなくその場所だと確信することができた。

このビルのすぐ隣では、完成すれば500メートルを超える世界一の高さになるという超高層ビルを建設中だった。まだ建設途中だったので我々の立つ展望室の真下方向にクレーンの積載されたその最上部が見えはしたが、いずれはそのビルの頂をこの展望室からは頭上高くに見上げなければならなくなるはずだった。展望室の回廊を一周し、四方の景観を眺め終えたあとビルの内側に目をやると、厚い防護ガラスの向こう側にはもうひとつアッと驚くような光景が広がっていた。なんと、この金茂大厦というビルの内側には一階から最上階までを貫く巨大な円筒状の吹き抜け空間があって、最上部の88階からは1階のフロアが小さな円となって眼下はるかなところに見えているのだった。

高度恐怖症の人ならたちまち震えがきてしまいそうな凄まじい光景で、1階のフロア上を蠢く人影はまるで蟻かなにかのように小さく縮んで見えるのだった。考えてみると垂直方向に掘られた400メートル余の真っ直ぐなトンネルの片方の入口から他端にある出口を眺めるようなものだから、最下階の床面が小さな円形になって見えるのも当然のことなのだった。

金茂大厦の展望室探訪を終えた我々はいよいよ帰途に着くことになった。宿泊していたホテルに戻ると預けてあった荷物を受け取り、タクシーに乗って浦東空港へと向かった。帰路にはリニアモーターカーは利用せずタクシーで直接空港に乗りつけたが、途中で高速道路がリニアモーターカーの高架線路と並行しているところがあった。タクシーの中からその高架線路を眺めているうちに、最高時速400キロものスピードで走る列車を支えるにしてはずいぶんと華奢な構造をしているなあという思いが湧いてきた。

ともかくも無事浦東空港に到着し、とくに問題もなく登場手続きを済ませた我々は、Fさんの見送りを受けながら搭乗ゲートをくぐったのだった。大変な駈足旅行でもあったから、上海周辺のごく表面的なところしか見ることができなかったのではあるが、それはそれとして実に想い出深い旅とはなった。この旅のきっかけをつくってもらった同行のMさんに深く感謝しながら、私は搭乗機の指定座席に腰をおろし、離陸に備えてシートベルトを締めた。それからほどなく、我々を乗せたJAL機は成田へと向かって浦東空港を飛び立った。

カテゴリー エッセー. Bookmark the permalink.