エッセー

19. 上海駈足紀行(3)

上海の中心部からは相当に離れた北部郊外にあたる地域へと移動したが、そのあたりも大小のビルが立ち並び、地下鉄の駅周辺はずいぶんと活況を呈していた。いまでは上海全域がそのような感じで開けてきているのだろう。デパートやスーパーマーケット、各種商店などの盛況ぶりも、また各種ネオンや街路の照明の有様なども東京郊外の大きな駅周辺のそれらを凌ぐほどのものだった。案内役のFさんはそのあたりに一人で住んでいるとの話であった。我々は上海市民の生活ぶりの一端を覗くために、Fさんが日常的に利用しているというスーパーマーケットに連れていってもらった。

スーパーマーケットは当初想像していたよりもはるかに大きなものであった。日本のジャスコなどのような大型店舗並みかそれ以上の規模の大フロアが何階にもわたって広がり、各階をつなぐ通路は階段ではなく十分に幅のある緩やかなスロープになっていた。街路から店舗へと入る通路そのものが強靭な金網状構造の床面をもつスロープになっているのも印象的だった。買い物客がカートを引きながら各階を無理なく行き来できるわけで、一種のバリアフリー効果をも兼ねそなえているようにも見えた。エスカレータやエレベータも設置されてはいたが、それはともかく日本の大型店舗の階段とは一味違うそんな構造の通路を設置しているのは、それなりの理由や背景があってのことに違いない。上海には欧米系の外資企業が多数参入しているから、もしかしたらその影響によるものなのかもしれなかった。

商品は豊富そのもので、生鮮食品類から日用雑貨、各種電化製品や衣類、さらには運動具や旅行用品にいたるまでのさまざまな商品がこれでもかと言わんばかりに並べ置かれているのだった。もちろん、日本の物価からすればどの商品もずいぶんと安かった。中堅サラリーマンの平均所得が日本円で2万円ほどだという話だから物価が安いのは当然のことなのだが、それほどに品質も悪くないと思われる商品がそんな物価で大量に流通している現代中国の活力と活況は、国際的競争力という点からしても、現代の日本などにとってはやはり恐るべきものだと思わざるをえなかった。もちろん、このような活況は広大な中国全土からするとごくかぎられた一部先進地域のみに見られる現象にすぎないのかもしれなかったが、そこに見られるエネルギーの凄まじさにはいささか圧倒されもした。いまではこのようなスーパーが中国の大都市にはいたるところに存在しているらしかった。

あちこち覗きまわっていてとくに興味深かったのは、魚貝類や食肉類の売場だった。日本では考えられないような安さはむろんだが、そこに並べ置かれている珍しい品々やその売り方などにはお国柄がよくあらわれていて、思わず息を呑んだり見惚れたりすることもしばしばだった。もちろん、まるごと食鳥類や食用動物が売られているところでは、現代の日本人ならギョッとしてしまいそうな光景なども見られたりした。ただ、よくよく考えてみると、私が子供だった頃の日本の田舎なら、それはどこにでもあった光景なのでもあったのだ。

スーパーマーケットの見学を終えたあと、我々は上海雑技団の公演がおこなわれる上海馬戯城へと向かった。上海雑技団をはじめとする中国雑技団の専用施設であるこの馬戯城は上海の中心部から北に数キロほど離れた虹口地区の一角にあった。虹口地区はかつて日本租界のあったところである。明るくライトアップされた黄白色の球形ドーム型雑技場は座席数1672という立派な施設で、照明、音響、ステージの配置なども驚くほどに近代的なものだった。この施設では、中国随一といわれる上海雑技団のほか、中国各地の有名雑技団や国外のそれらに類する高名な技芸団の公演がおこなわれているらしかった。あたりには動物館その他のレジャー施設やレストランなどのある商業城、さらには公園などもあり、現在では上海国際文化交流の一端を担ってもいるらしかった。

この夜の公演で我々が目にすることになったのは、「時空之旅」と銘打たれた上海雑技団による名演技の数々だった。いろいろと割り引きもあるらしいのだが、ともかくも正規の入場料は大人280元ということで日本円にすると3600円余になるから、中国の各種物価と考え合わせるとけっして安い料金ではない。もともと外国観光客を念頭に置いた料金設定がなされているためなのであろう。Fさんがあらかじめ席を予約してくれていたせいで問題なく入場できたが、場内はほぼ満席に近い状態だった。もちろん、言葉や身振舞い、さらには服装の様子などから判断して、大半を占めるアジア系の人々を含め、観客の大半が外国人観光客のようであった。

公演開始早々から、舞台上で繰り広げられる演技も演出も圧倒的な表現力と躍動感をもって我々の目に迫ってきた。中国雑技団というと、なんだか昔のサーカスの延長などを連想し、古めかしくてどこか暗い翳を引きずっているという先入観をもったりもしていたが、現実には、幻想的なカクテル光線や現代音楽の飛び交う舞台演出は近代的そのもので、大仕掛けな機械装置類を用いた舞台の展開にも思わす目を見張らされるばかりであった。日本でも中国雑技団の演技を見たことはあるのだが、演技力や芸の質の高さといい、凄みあるその迫力といい、本場で目にする公演はかつて私が目にしたものなどとは一味も二味も違うものであった。日本の相撲にたとえるなら、地方巡業の花相撲と本場所の真剣勝負の相撲との違いみたいなものが感じられた。

Fさんによると、中国には一流から三流四流までさまざまな雑技団があるそうだが、上海雑技団のような一流の雑技団の場合は文字通り極限ぎりぎりの演技をおこなうので、それなりに失敗もあるらしかった。ごく最近もこの上海馬戯城でのオートバイの曲技で再起不能の重傷者が何人も出たばかりだとのことだった。二流三流の雑技団というものは自分たちに十分可能な範囲での演技を披露するため、素人目には一見パーフェクトな演技にも見えるらしいのだが、極限に挑む一流の雑技団の芸は感動的かつ驚異的な成功をも収めるかわりに、折々失敗をも伴うらしかった。本公演の場で失敗の有様をも観衆の面前に晒して憚らないところなどは、たぶん国民性の違いによるものなのであろう。いずれにしろ、雑技団の驚異的な演技の数々が、幼少期からそのためだけにすべてをなげうってきた演技者たちの汗と涙の結晶であることだけは疑う余地のないところだった。

若い男女の団員が人間離れした身体の柔軟さやバランス感覚を披露しながら繰り広げる神業としか言いようのない曲技や曲乗りの数々、チームでおこなう梯子や椅子、大小の輪などを用いた超人的アクロバット芸、さらには、天井から下がるロープ、リポン、空中ブランコ、シーソー式のジャンプ台などを多用した危険このうえない各種空中曲芸、回転する巨大な車輪の上での度肝を抜くバランス芸などに我々はひたすら息を呑むばかりだった。

左右の手でそれぞれに皿を回しながら三段にも四段にも重ねたおそろしく不安定な台上に片足で立ち、宙に浮かせたもう片方の足先に助手が次々に載せる皿や急須を巧みに蹴り上げ、頭の上に何枚も重ねてみせる曲芸などは、一見地味には映るものの、実のところはこの世の奇跡としか言い表しようのないものでもあった。演技中に皿が一枚うまく頭に載らずに落ちてしまったが、そのこと自体がこの曲技の難しさを物語っているようでもあった。中国雑技団によるこの種の類似芸は日本でも何度か目にしたことがあったが、その難度については雲泥の差があるように思われてならなかった。

曲技と曲技の合間に登場する舞台ガイド役の道化師役もまた実は並々ならぬ曲芸の達人であった。彼は、おどけた身振り手振りを織り交ぜながら手品を見せたり、皿回しや難技である大壷回しを披露したり、観客の頭上をあちこちと舞い飛んだうえでまたぴたりと自分の手元に戻るように回転飛行盤を見事に操って見せたりしてくれた。

さらにまた、次々に繰り出される諸々の演技に合わせて刻々と変わる照明や音楽なども、現代的であるばかりでなくその演出効果のほどが十分に計算し尽されている感じで、舞台上の演技をいっそう盛り上げる役割を見事なまでに果たしていた。

オートバイによる最後の曲芸は圧巻だった。円形舞台の平面上での8人ほどのライダーによる曲乗りだけでもなかなかのものだったが、網目構造をもつ大型金属製球体内において、全員のライダーがオートバイに乗ったまま中に入り、逆さまになったり横向きになったりしながら、猛烈な速度でぐるぐると上下左右、右斜め、左斜めと疾走する様子には、見ていてただもう呆気にとられるばかりだった。一台のオートバイがその中を自在に走り回るだけならまだしも、限られた大きさの球体内に8台ものオートバイが入り、それぞれが高速で円を描いて疾走しながら互いにクロスするという危険極まりない曲芸に、観客は皆言葉を失って呆然とその有様を眺めやるばかりだった。ライダーの誰か一人にちょとしたタイミングの判断ミスが生じたりすればたちまち衝突が起こり大事故になってしまうことは明白だったから、先日もこのオートバイ芸で重大事故が起こったばかりだというFさんの話を、あらためてなるほどと納得したような次第だった。

2時間弱にわたる雑技団の公演を楽しんだあと、我々は夜の上海の華麗なネオンの数々を眺めながらタクシーでホテルに戻り、それぞれの部屋に落ち着いた。シャワーを浴びてから歯を磨こうとした時のこと、洗面台の右脇にミネラルウオーターのボトルが2本置かれているのに気がついた。上海の水道水はそのままでは飲んではいけない、飲む場合は必ず煮沸してから飲むようにとFさんからも忠告されていたので、ホテル側によってミネラルウオーターがあらかじめ備え置かれていること自体は不思議ではなかった。

ただ、その場所が冷蔵庫の中とかカップやグラス類を収めてある棚のそばやテーブルの上ではなかったので、歯を磨いたあと嗽をするのもミネラルウオーターを使うようにという意味もあって洗面台の脇にわざわざボトルが置いてあるのかなと考えた。口を漱ぐくらいなら生の水道水で大丈夫じゃないかとも思ったが、ちょっとだけ気を抜いたことが原因でせっかくの旅が台無しになってしまってもつまらないという気がしたので、とりあえず歯を磨いたあとの嗽はそのミネラルウオーターで済ませることにした。

それからしばらくしてから、何事も体験とばかりに、水道水を湯沸かし器でしっかりと煮沸し試飲してみたが、ちょっと臭みのあるなんとも妙な味がした。幸いお腹こそこわさなかったが、水が悪いことだけは確かだった。これだと過日ある学生と一緒に沸かしてのんだ山中湖の湖水のほうがはずっと水質もよくて安全ではないかというのが偽らぬ思いだった。Fさんが、「うっかりして上海の生水を飲むと12回は下痢をしますよ」と冗談交じりに忠告してくれた言葉の意味をよくよく納得させられもした。

地形的に考えてみると、広大な平野の海辺近くに位置するこの一大都市に水を補給するには、長江やその支流、あるいは周辺の汚染の進んだ湖沼の水を浄化して用いるしかないのだろう。どうみても水質がよいとは言い難いそれらの水を浄化してみても、味の調整や臭いの除去には限度があるし、塩素系の化学薬品もそのぶんだけ多く混入することになるだろうから、上海の水道水が悪いのは仕方がないに違いない。

かつてある知人が、「いまの上海の水を日本に持ち帰り専門家に分析してもらったところ、日本の安全基準からするとずいぶんと問題があるようなんですよ。昔の上海の水とはかなり違うそんな水を生涯飲み続ける若い人々の身体に、将来なにか影響が出ないといいんですけどね」と言っていたことがある。自分には直接関係のないことだったので、その時はついつい聞き流してしまったが、この夜はその知人の言葉の意味するところをあらためて実感する有様だった。

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