エッセー

5. 知る人ぞ知る鳴子の名湯

宮城県鳴子町の中心部からすこし離れたところに田中温泉という鄙びた温泉湯治場がある。鄙びたという言い方をすればいささか聞こえはよいが、実のところは鄙び過ぎてもいるから、見方によってはその現状はお化け屋敷に近いとも言えないことはない。六月初めのことだが、仕事で山形のある蕎麦屋を取材した帰りに、久々にその田中温泉に立寄った。この温泉を初めて訪ねたのは、若狭の画家渡辺淳さんと二人で貧乏旅行の極め付けとも言うべき東北放浪の旅をした時のことだった。もう十年近く前のことになるのだが、その珍道中ぶりについてはこのAIC欄においても十二回にわたり連載の筆を執ったりした(関心のある方は全バックナンバー中の1999年9月1日~11月7日をご参照ください)。

前夜車中泊をした……、いや実のところは車中泊以外には選ぶ道のなかった渡辺さんと私は、翌朝早起きし鳴子方面に向かって走りながら、どこかに朝風呂にはいれるところはないものか探そうとしていた。ただ、温泉旅館が数々ある鳴子とはいえ、どう贔屓目に見ても挙動不審者にしか映らない我々を早朝から快く風呂に入れてくれる宿などあろうはずもなかった。だから、二人とも内心では半ば諦め気味だった。

ところが、幸いなことに、鳴子温泉の中心街に入るすこし手前でたまたま出遇った地元の人に「ちょっと早いんですが、この時間から入浴させてくれるよう温泉はありませんかねえ?」と尋ねてみると、「近くに田中温泉というところがありますから、そこへいらっしゃるといいですよ」と教えてくれた。早速訪ねてみると、そこは怪談の舞台にでもなりそうな、なんとも古ぼけた温泉宿だった。早朝とあってか、入口の受付には人影が見当らないので横手の方にまわり大声で来意を告げると、ようやく当主らしい中年の男が現れた。一人二百円という貧乏旅行者には有難くて涙の出そうな入浴料を払って中に入ると、目に飛び込んできたのは、往時の繁栄を偲ばせる昔風の広い板張り回廊とその奥にある時代ががった造りの大浴場だった。

その浴場は直径二十メートルほどもあろうかという円形をしており、満々と湯を湛えた浅めの大きな浴槽が二つ孤状に配置されていた。いっぽうのお湯は澄んだ深緑色をしており、もういっぽうの湯は不透明な黄白色をしていたが、どちらのお湯も適度に肌にやわらかく、自然に身体の隅々までが温まる感じだった。ここを紹介してくれた地元の人は、泉質は重曹泉で湯治効果は抜群だと薦めてくれたのだが、その言葉に偽りはなさそうだった。

二人だけで浴槽を占領しながらつぶさに大浴場全体を眺めまわしているうちに、いまでこそ壁面が黒っぽくくすみ、タイルのあちこちが無残に剥げ落ちて壁絵の図柄も不鮮明になってしまっているが、もともとは時代の先端を行く見事な造りの浴場だったことがわかってきた。そのことを何よりもよく物語っているのは、この浴場の中心部の特殊な造りだった。円形の浴場の中央に正八角形の総ガラス張り吹き抜け風の明るい区画があって、その中へと通じる同じガラス張りのドアがひとつ設けられていた。ドアを開けて内側をのぞいてみると、下部は八角形の酒落た浴槽になっており、上部はやはり八角形の無ガラスの天窓になっていて、そこからは明るい朝の光が射し込んできていた。

惜しいことに、いまではその白い八角形の浴槽は湯を絶たれて放置されたままになっているが、往時は斬新な着想によるその造りのゆえに、大変評判になったに違いなかった。時を経て古びてしまってはいるが、壁面に張られたタイルは極めて上質のもので、部分的に残る染色タイルの色艶やデザインからすると、そこに描かれていた図柄はきわめて格調の高いものだったろうとも推測された。

我々は、この「夢の跡」とでも表すべき田中温泉がとても気に入った。建物が古びて朽ち果てようが、肌にやわらかなこの温泉の泉質が昔と変わるわけではなかった。湯から上がって脱衣場で服を着ている時に入浴にやってきた地元の古老の話だと、湯治用としてはいまでも鳴子随一の泉質なのだということだった。どうやら、時代と共にもうすこし先にある近代的な鳴子温泉街が盛えるようになり、その煽りで田中温泉はすたれてしまったものらしかった。現在では、地元の人々と、たまに訪れる事情通の一部の日参湯治客だけが安い料金で利用しているだけのようだったが、なんとももったいないかぎりに思われてならなかった。

風呂からあがったあと、館内の老朽化した広い階段をのぼり、人気のまったくない二階の窓からこの宿の裏手のほうを眺めた我々は思わず息を呑んだ。荒れ果ててしまってはいるが広大な敷地がはるか奥のほうまで続き、大回廊をもつ建物群が古びた軒々を連ねていた。その規模からしてみると、昔は鳴子でも一・二を争う大旅館だったに相違なかった。長年放置されその間の風雪によってひどく傷んだ感じの無人の建物群を見つめながら、我々はあらためて栄枯盛衰のならいを想うばかりであった。

それからというもの、私は折あるごとにこの田中温泉に立寄り、日帰り入浴を楽しむようになった。通常、玄関脇の受付には見るからに気品のあるお婆さんが坐っていて、こちらの差し出す二〇〇円の入浴料を受取りながら、なんとも心温かい対応をしてくれたものだった。ある時そのお婆さんに往時の田中温泉の話を伺ってみると、とてもしっかりした口調で昔日の繁栄ぶりについて懐かしそうに語ってもくれた。

こちらが想像していた通り、このお婆さんは、かつては鳴子随一といわれ鳴子温泉の代名詞でもあった田中温泉の元女将にほかならなかった。でも、その物静かな、そしてどこか毅然とした話しぶりには、現在の状況について愚痴を述べたり、過去の栄光に縋ったりするようなところなど微塵も感じられないのだった。どこか達観したようなその姿には、むしろ、嵐雪の猛威や無常の時の流れのなすがまま徐々に朽ちゆくその温泉宿の有様をごく自然なものとして受け入れ楽しんでいるような風情さえあった。この温泉のよさがわかる人にだけお湯を楽しんでもらえばいい――そんな心の奥の呟きが私には聞こえてきそうであった。

田中温泉には大浴場のほか、婦人風呂や小さな個室風呂が幾つかあった。男女別々に脱衣場のある大浴場は昔から混浴だったようで、これまでも何度か見知らぬご婦人方と一緒に湯船につかる機会があった。ただ、湯船を共にしたそんなご婦人連のすべてが、生の旅路を阻む山河を幾つも越え、その結果、えも言われぬ存在感を湛えるようになった方々ばかりだったのは、我が身のことはさておいて、甚だ残念なことではあった。もっとも、洗い場の水道の蛇口は皆黒く変色したり厚く緑青がこびりついたりしていて、湯や水の出もひどく悪くなっており、浴場の壁も床も温泉の含有成分のためにすっかり黄ばんだり黒ずんだりしてしまっているから、見かけの清潔感にだけはうるさい昨今の若いご婦人方に敬遠されてしまうのは道理でもあったろう。

一人か二人用の小さな湯船の備わっている古びた個人用浴室にひとりこもって中庭側の小窓を開け、夜空の星々を眺めながらこころゆくまで湯につかることができるのもこの温泉ならではのことである。鳴子随一といわれる泉質だけのことはあって、湯上り後の身体の温もり具合や肌に残る感触は実に爽やかそのものだ。そんないいことずくめのこの小浴室にあえて一つだけ不満を述べるとするなら、すぐそばの源泉からかなり熱い湯が常時注ぎ込まれているので、かなりの量の水で割らないと入浴できないことがしばしばあることだろうか。湯船には水道の蛇口がついていないので、そんな時は洗い場の蛇口から桶で水を汲んでは湯船に入れるという作業をかなりの時間続けなければならないのだ。そんな作業をやるごとに、今度来る時こそはホースを持参するぞと思いながらも、現実には、相も変わらず入浴前に洗い桶を手に水割り作業に励んでいる有様だ。

事情通の奇特な湯治客が時々用いるごく一部の部屋を除き、いまでは二階建て大回廊造りの建物群や中庭のほとんどは荒れほうだいのまま放置されてしまっている。いくら古くなったとはいえ建物自体は昔風のしっかりした造りだから、それらを解体処理するには相当な費用がかかりもすることだろう。ただ、それはともかく、かつては由緒ある温泉旅館だっただけに、埃が積もり、襖、障子、窓枠、引き戸、床の間などがすっかり傷んでしまってはいても、それぞれの客間にはいまもなお不可思議な風格が漂い残っている感じなのだ。一昔前の文人の幽霊かなにかが突然眼前に立ち現れそうな回廊をめぐり、あれこれと想像力を掻き立てながら幾つかの部屋を覗いてまわるのは、入浴後の私のちょっとした楽しみの一つになってきた。

ところがこの六月に田中温泉を訪ねた折には、どうしたことかあの品のあるお婆さんの姿は見当たらなかった。どうなさったのだろうと内心では思ったが、二百円の入浴料を手渡した中年の男性があまりにも慌しそうだったので、ついついそのことは訊きそびれてしまった。その男性は、たしか、はじめて渡辺画伯とこの温泉を訪ねた時に入浴料を手渡したのと同じ人物のようだった。幸い、温泉そのものの様子にはとくに変りはなかったが、なんとなく気になることが一つだけあった。玄関脇の駐車場に建設業者か廃棄物処理業者のものと思われる車が一、二台とまっていて、なにやら大掛かりな作業に取りかかろうとしているような気配が感じられたからである。

あのお婆さんはご健在なのだろうか。もしかしたら何事かが起こり、それが契機となって田中温泉に大きな変化が生じようとしているのであろうか。私が次に訪ねてくる時まで田中温泉はこれまでと同様の姿をとどめていてくれるのだろうか。もしかしたらこれが料金二百円での最後の入浴になってしまうのだろうか。なんとも複雑な想いに駆られながら、私はすっかり宵闇に包まれた田中温泉をあとにした。

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