エッセー

4. 窮極のアナログ型腕時計って?

過日、長野県御代田町にあるシチズン・ミヨタの取締役社長・前川祐三さんを訪ね、技術研究一筋だったその人生における苦労譚を伺った際に、かつて携わった時計の開発についての面白い話を聞くことができた。若い頃から低消費電力ICの研究や高性能水晶振動子の開発などに携わってきた関係もあって、シチズン技術研究所の所長時代の前川さんが部下を指揮して取組むことになったのは、「究極のアナログ型腕時計」の開発であった。窮極のアナログ型腕時計とは、
(1)購入後はいっさいバッテリー交換をしなくても、異常な力が加わって物理的に壊れたりしないかぎり作動し続けること、
(2)その間なんの修正をほどこさなくとも正確無比に時を刻み続けること、
(3)光の当たらぬ暗所に不使用のまま長期間放置していたとしても、取り出した途端に作動し正確な時刻を表示すること、
という三つの条件を十分に満たすような時計のことを意味していた。

素人考えからすると、そんな時計が出来てしまったら、初めのうちはともかく、しばらくしたら時計が売れなくなって当の会社が困ってしまうのではないかという気もしたが、良心的というかなんというか、実際にそんな窮極の時計開発がおこなわれることになったのだそうだ。最終的にそんな時計開発に成功した前川さんらが左遷されたり首になったりしなかったところをみると、シチズンの経営はその後も順調だったのだろう。一定年限がくると不具合が生じ買い換えが必要になる工業製品が多い中で、なんと見上げたものだろうと話を聞きながら心の内で感心した。

しかし、世の中をハスに見る悪癖のあるこの身はすぐにまた思い直した。無精なうえに貧乏な自分などには、一度買えば生涯使える時計というものは有難いの一語に尽きるが、その時計がとてつもなく高価だったりしたらすこしも有難くなんかない。万一そいうことだったら、一度「見上げたもの」をあらためて「見下げたもの」に軌道修正しなければならないな、とも考えながらなお耳を傾けた。

わずか1マイクロワット(100万分の1ワット)の電力で動く水晶振動子式腕時計は当時すでに開発済みで、世間ではそれが窮極のエコロジー商品ではないかなどと囁かれもしていたらしい。微小な水晶振動子に電圧を加えて発振させ、その正確な振動が生み出す時刻信号を各種ICやステップモータ、さらには歯車等を介して時分針や秒針の動きに変えるプロセスをわずか1マクロワット前後の電力で処理していたからだった。だが、年間約12億個も生産される腕時計の電池の寿命が2年ほどで、それにともなって毎年12億個もの電池が生産されたり廃棄されたりするという実情を考えると、窮極のエコロジー商品だとか窮極の腕時計だとか喧伝するのはおこがましいかぎりだったという。

そこで、前川さんらは従来のようなタイプの電池を使わず、外界から取り込んだエネルギーだけで時計を動かすシステムの開発に取組んだのだのだった。腕の表面温度と外気温との温度差が1度以上あるとそれを駆動用エネルギーに変換して用いる温度差発電時計、腕の動きをエネルギー源にした揺動発電時計、気温や気圧の変化をもとに作動する時計、さらには空中電波をエネルギー源にする時計などが研究試作され、いくつかのものは一応の実現をみたのだそうだ。だが、コスト的にみてそれらはとても採算が合うようなしろものではなかったらしい。換言すれば、私のような貧乏人は言うに及ばず、そこそこにお金のある人々でも手の出ないような値段の時計になってしまいそうだということだったようである。

そんなわけで、なおも可能性のあるものとして最後まで残ったのは光エネルギーを用いるソーラー・セル式腕時計だけだったという。屋根の上などに設置して用いる大型のソーラー・セル(太陽電池)はずいぶんと開発が進んでいたが、腕時計などに使える超小型ソーラー・セルは未開発だったので、自然光の5%から10%の明るさの光や、一定以上の光量をもつ白熱灯や蛍光灯の光のもとでも発充電をおこなえるような高性能小型ソーラー・セルの研究が独自に進められた。また、腕時計のソラー・セルは文字盤の下に組み込まれることになるため、必要量の光が透過できる透過性文字盤も並行して開発された。

ソラー・セル・ウオッチの最大の欠点は、長時間裏返しにされたり、袖の中に隠されたり、引出しや箱の中などの暗所に入れられたりした時、光量不足で発電ができなくなり駆動エネルギーが不足して動かなくなってしまう可能性があることだった。そこで、非常時に備えて二次電池を組込み電力を貯えるようにするとともに、極力電力消費を抑える独創的なパワー・セーブ・システムが考案された。アナログ型腕時計の電力消費の75%は秒針の動きによるものだった。そのため、15秒以上光が当たらない場合には秒針を止めで電力消費を通常の25%に抑え、さらに2~3日以上光が当たらないようなら時針分針ともに止めて通常の5%程度に電力消費を抑制する特別な工夫が凝らされた。

もちろんその間も水晶振動子や各種IC部分は正常に作動して時刻をカウントするようにしておき、再び光が当たると間髪を入れずに時分針や秒針が正しい位置に移動し、何事もなかったかのように再起動するという巧妙な仕掛けも開発された。エコ・ドライブと名づけられたこのパワー・セーブ・システムのお蔭で、最長10年間も不使用のまま暗所に放置されていても、取り出した途端に再作動して正確な時刻を示す腕時計が誕生した。

正確さに関しては、年間誤差10秒内という高性能水晶振動子使用の時計がすでに生産されていたが、より精度を高めるため標準時刻を発信する電波を受信し自動的に時刻修正をおこなうようなシステムが研究された。内蔵する高感度小型受信器で毎日午前2時に電波を拾い、もしそれに成功しなければ午前3時に再度電波を拾って自動的に時刻修正をおこなう。そして、二度とも受信に失敗した場合は翌日に同様のことを繰り返しおこなうというもので、このシステムの導入により、正常に使用されている場合、理論上では30万年にわずか誤差1秒程度というおそろしく正確な時計の開発が実現した。たとえ電波のまったく届かない場所に6年間放置されていたとしても、水晶振動子の機能は正常なので最大でも1分の誤差しか生じない。もちろん電波を拾える状態になれば、すぐさまその誤差を自動的に修正してしまうというわけなのだ。

こうして開発された「究極のアナログ型腕時計」はもう一般に市販されているそうだが、そんな研究開発の舞台裏や、奇妙な針の動きなどはほとんど知られていないようである。そこで、前川さんの腕時計を借り、その表面を30秒ほど覆い隠してから手を離すと、なるほど秒針が素早く動いて正しい位置に移動し、何事もなかったかのように正確な時を刻み始めた。

こりゃたしかに利口な時計だなと感心しながら、そのあとさりげなくその値段を尋ねてみると、「うーん、ちょっと高いんですかねえ……」という曖昧な返事が返ってきた。そこで、あとになってからカタログを調べてみると、5万円くらいのものから13万円近くのものまでとその価格には結構幅があるようだった。「見上げたもの」と考えるべきか「見下げたもの」と考えるべきかするべきかで私の胸中はしばし複雑に揺れはしたが、近い将来量産が進んだ折にはもっと安くなるのだろうという期待感を込めて、「見上げたもの」と評価しておくことにした。

もちろん、目下のところ自分でその種の時計を買うつもりはない……、いや買うつもりがあっても買えそうにない!……、貰うつもりならいくらでもあるのだが、いまさらそんな時計をプレゼントしてくれるような奇特な人などあろうはずもない。そう考えてみると、「市民」を意味する「CITIZEN」というそのブランド名がいささか恨めしくなってきた。どうやら私は市民以下の存在であるらしいと思い知らされたからだ。低い我が生活レベルからすると、平均的市民を意味する「CITIZEN」はやはり見上げるべき存在であるらしい。

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